“火(ひ)” の例文
私(わたくし)は漸(やうや)くほつとした心(こころ)もちになつて、卷煙草(まきたばこ)に火(ひ)をつけながら、始(はじめ)て懶(ものう)い睚(まぶた)をあげて、前(まへ)の席(せき)に腰(こし)を下(おろ)してゐた小娘(こむすめ)の顏(かほ)を一瞥(べつ)した。
蜜柑 (旧字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
したふか板倉のひえ炬燵(こたつ)とは少しも火(ひ)がないといふ事なり非(ひ)と火と同音(どうおん)なればなり夫より後世(こうせい)の奉行(ぶぎやう)いつれも堅理(けんり)なりといへども日を
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
泥濘(ぬかるみ)を捏返(こねかへ)したのが、其(そ)のまゝ乾(から)び着(つ)いて、火(ひ)の海(うみ)の荒磯(あらいそ)と云(い)つた處(ところ)に、硫黄(ゆわう)に腰(こし)を掛(か)けて、暑苦(あつくる)しい黒(くろ)い形(かたち)で踞(しやが)んで居(ゐ)るんですが。
艶書 (旧字旧仮名) / 泉鏡花、泉鏡太郎(著)
すると、その男(おとこ)の人(ひと)は、どんぐりをねらって、うまく当(あ)てたのですって、どんぐりが破(やぶ)れて弾丸(たま)が、石(いし)にあたって、火(ひ)が出(で)たそうよ。
金歯 (新字新仮名) / 小川未明(著)
角海老(かどゑび)が時計(とけい)の響(ひゞき)きもそゞろ哀(あわ)れの音(ね)を傳(つた)へるやうに成(な)れば、四季(き)絶間(たえま)なき日暮里(につぽり)の火(ひ)の光(ひか)りも彼(あ)れが人(ひと)を燒(や)く烟(けぶ)りかとうら悲(かな)しく
たけくらべ (旧字旧仮名) / 樋口一葉(著)
もし右(みぎ)のような火(ひ)の性質(せいしつ)を心得(こゝろえ)てゐると、心(こゝろ)の落着(おちつき)も出來(でき)るため、危急(ききゆう)の場合(ばあひ)、機宜(きゞ)に適(てき)する處置(しよち)も出來(でき)るようにもなるものである。
地震の話 (旧字旧仮名) / 今村明恒(著)
神樣(かみさま)、どうかお聽(き)きになつてください。私(わたし)はあなたもよく御承知(ごしやうち)ののんべえ です。私(わたし)がのんべえ なために家(いへ)の生計(くらし)は火(ひ)の車(くるま)です。
ちるちる・みちる (旧字旧仮名) / 山村暮鳥(著)
お品(しな)の塔婆(たふば)の前(まへ)にそれから其處(そこ)ら一杯(ぱい)の卵塔(らんたふ)の前(まへ)に線香(せんかう)を少(すこ)しづゝ手向(たむ)けて、火(ひ)を點(つ)けてほつかりと赤(あか)く成(な)つた提灯(ちやうちん)を提(さ)げて戻(もど)つた。
土 (旧字旧仮名) / 長塚節(著)
臼(うす)もころがして來(き)ました。お餅(もち)にするお米(こめ)は裏口(うらぐち)の竈(かまど)で蒸(む)しましたから、そこへも手傳(てつだ)ひのお婆(ばあ)さんが來(き)て樂(たの)しい火(ひ)を焚(た)きました。
ふるさと (旧字旧仮名) / 島崎藤村(著)
所々に出水(でみず)の土手壊(くず)れや化けそうな柳の木、その闇の空に燈明(とうみょう)一点、堂島開地(どうじまかいち)の火(ひ)の見(み)櫓(やぐら)が、せめてこの世らしい一ツの瞬(またた)きであった。
鳴門秘帖:01 上方の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
是(ここ)に於(おい)て齊(せい)の軍(ぐん)の善(よ)く射(い)る者(もの)をして、(五三)萬弩(ばんど)、道(みち)を夾(はさ)んで伏(ふく)せしめ、(五四)期(き)して曰(いは)く、『暮(くれ)に火(ひ)の擧(あ)がるを見(み)ば倶(とも)に發(はつ)せよ』
とうとうお釜(かま)が上まで真(ま)っ赤(か)に焼(や)けました。その時分(じぶん)には、山姥(やまうば)もとうにからだ中(じゅう)火(ひ)になって、やがて骨(ほね)ばかりになってしまいました。
山姥の話 (新字新仮名) / 楠山正雄(著)
「否(いいえ)、」とお母(かあ)さんが言(い)った。「わたしは胸(むね)が苦(くる)しくって、歯(は)がガチガチする。それで脈(みゃく)の中(なか)では、火(ひ)が燃(も)えているようですわ。」
一(ひ)と口(くち)に申(もう)したらその時分(じぶん)の私(わたくし)は、消(き)えかかった青松葉(あおまつば)の火(ひ)が、プスプスと白(しろ)い煙(けむり)を立(たて)て燻(くすぶ)っているような塩梅(あんばい)だったのでございます。
源水横町の提燈やのまえに焼鳥の露店も見出せなければ、大風呂横町の、宿屋の角(かど)の空にそそり立った火(ひ)の見(み)梯子(ばしご)も見出せなくなった。
浅草風土記 (新字新仮名) / 久保田万太郎(著)
ロレ さうした過激(くわげき)の歡樂(くわんらく)は、とかく過激(くわげき)の終(をはり)を遂(と)ぐる。火(ひ)と煙硝(えんせう)とが抱合(だきあ)へば忽(たちま)ち爆發(ばくはつ)するがやうに、勝誇(かちほこ)る最中(さなか)にでも滅(ほろ)び失(う)せる。
交番の前では、おまわりさんが、火(ひ)の見台(みだい)では、消防署のおじさんが、やっぱり、人形のように動かなくなって、空を見つめていました。
妖人ゴング (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
餘程(よほど)の大火(おほび)を焚(た)かなければ、馬籠(まごめ)にて見(み)たる如(ごと)き跡(あと)を遺(のこ)すものでない。竈(かまど)とか、爐(ろ)とか、それ位(くらゐ)の火(ひ)の爲(ため)に出來(でき)たのでは恐(おそ)らくあるまい。
不幸(ふかう)にも、此(この)心配(しんぱい)が暮(くれ)の二十日過(はつかすぎ)になつて、突然(とつぜん)事實(じじつ)になりかけたので、宗助(そうすけ)は豫期(よき)の恐怖(きようふ)に火(ひ)が點(つ)いた樣(やう)に、いたく狼狽(らうばい)した。
門 (旧字旧仮名) / 夏目漱石(著)
そのとき西(にし)のぎらぎらのちぢれた雲(くも)のあひだから、夕陽(ゆふひ)は赤(あか)くなゝめに苔(こけ)の野原(のはら)に注(そゝ)ぎ、すすきはみんな白(しろ)い火(ひ)のやうにゆれて光(ひか)りました。
鹿踊りのはじまり (新字旧仮名) / 宮沢賢治(著)
備前のチュウコとは空中に見る怪火にして、他地方の狐火(きつねび)、火(ひ)の玉(たま)などを総称した名称である。その原因は狐に帰するからチュウコという。
迷信と宗教 (新字新仮名) / 井上円了(著)
しかし、今(いま)からもう病家(びやうか)廻(まは)りでもあるまいし、自宅(じたく)へ方々(はう/″\)から、火(ひ)のつくやうに迎(むか)への使(つかひ)の來(き)たことを想像(さうざう)して、腰(こし)をもぢ/\さしてゐた。
死刑 (旧字旧仮名) / 上司小剣(著)
一同(いちどう)は詮方(せんかた)なく海岸(かいがん)の家(いへ)に皈(かへ)つたが、全(まつた)く火(ひ)の消(き)えた後(あと)のやうに、淋(さび)しく心細(こゝろぼそ)い光景(くわうけい)。櫻木大佐(さくらぎたいさ)は默然(もくねん)として深(ふか)く考(かんがへ)に沈(しづ)んだ。
「先生(せんせい)っ、たいへんです。上野(うえの)のほうがくで黒(くろ)いけむりがたちのぼっています。火(ひ)の手(て)も、ちらちらともえあがりました。」
その頃(ころ)の若(わか)いもんたちは、三日三晩(みっかみばん)、たたらという大(おお)きなふいごを足(あし)で踏(ふ)んで、銅(かね)をとかす火(ひ)をおこしたもんだそうだ。
ごんごろ鐘 (新字新仮名) / 新美南吉(著)
また濕(しめ)つた粘土(ねんど)が火(ひ)の傍(そば)に置(お)かれると、固(かた)くなることを知(し)つたといふことなどが發見(はつけん)の緒(いとぐち)となつたかと想像(そう/″\)せられます。
博物館 (旧字旧仮名) / 浜田青陵(著)
だん/\と人口(じんこう)がふえ、みんなの智慧(ちえ)も開(ひら)けて來(く)るに從(したが)つて、やうやく火(ひ)といふものを使(つか)ふことを知(し)り、食(た)べ物(もの)も煑(に)たり燒(や)いたりして食(た)べるようになり
森林と樹木と動物 (旧字旧仮名) / 本多静六(著)
牧師(ぼくし)は、大またに寝室(しんしつ)へひっかえすと、やにわに、すみっこにおいてあった火(ひ)かき棒(ぼう)をにぎりしめ、足音をしのばせて、音のするほうへとおりていった。
その夜はこうして明けましたけれど、朝になって上野原の駅路外(はず)れ、火(ひ)の見(み)櫓(やぐら)の下に、一つの恐怖が起りました。
大菩薩峠:21 無明の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
閭(りよ)が其(その)視線(しせん)を辿(たど)つて、入口(いりくち)から一番(ばん)遠(とほ)い竈(かまど)の前(まへ)を見(み)ると、そこに二人(ふたり)の僧(そう)の蹲(うづくま)つて火(ひ)に當(あた)つてゐるのが見(み)えた。
寒山拾得 (旧字旧仮名) / 森鴎外(著)
招待されなかった消防組長のわに久は、はらだちまぎれに酔っぱらったあげく、火(ひ)の見(み)櫓(やぐら)へつかまって暴れた。
青べか物語 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
おなじような片歌(かたうた)の話(はなし)が、やまとたけるの尊(みこと)にもあります。この尊(みこと)東國(とうごく)平定(へいてい)の時(とき)、甲斐(かひ)の國(くに)酒折(さかをり)の宮(みや)に宿(やど)られて、火(ひ)を燃(もや)してゐた翁(おきな)に、いひかけられました。
歌の話 (旧字旧仮名) / 折口信夫(著)
寢食(しんしよく)の事(こと)は申(まを)すに及(およ)ばず、器物(きぶつ)の取扱(とりあつかひ)、火(ひ)の事(こと)、水(みづ)の事(こと)、掃除(さうぢ)の事(こと)、其外(そのほか)一體(さい)の仕事(しごと)に關(くわん)して皆(みん)な銘々(めい/\)の獨立心(どくりつしん)に依(よ)つて行(おこな)へば自然(しぜん)と責任(せきにん)を重(おも)んずるやうになる。
女教邇言 (旧字旧仮名) / 津田梅子(著)
旭(あさひ)座といふ名前が『火(ひ)』の字に関係があるから焼けたのだといふ噂も聞きました。二十年も前の事です。
津軽 (新字旧仮名) / 太宰治(著)
爪(つめ)に火(ひ)を灯(とも)すと言ひませうか、三度の物も二度にして、十年越し、浴衣(ゆかた)一枚買つたことも御座いません
大久保(おほくぼ)はちらとそれを見(み)ると、いきなり険悪(けんあく)な目(め)をして、「ちよツ」と苛々(いら/\)しげに舌(した)うちしながら、拳(こぶし)をかためて、彼女(かのぢよ)の鼻梁(はなばしら)を火(ひ)が出(で)たかと思(おも)ふほど撲(なぐ)りつけた。
彼女の周囲 (新字旧仮名) / 徳田秋声(著)
火鉢(ひばち)の火(ひ)が赤(あか)いのも、鐵瓶(てつびん)が優(やさ)しい響(ひゞ)きに湯氣(ゆげ)を立(た)てゝゐるのも、ふと擡(もた)げてみた夜着(よぎ)の裏(うら)が甚(はなはだ)しく色褪(いろあ)せてゐるのも、すべてが皆(みな)私(わたし)に向(むか)つて生(い)きてゐる——この年(とし)
日の光を浴びて (旧字旧仮名) / 水野仙子(著)
姫(ひめ)も一時(いちじ)は本物(ほんもの)かと思(おも)つて内々(ない/\)心配(しんぱい)しましたが、火(ひ)に燒(や)けないはずだから、試(ため)して見(み)ようといふので、火(ひ)をつけさせて見(み)ると、一(ひと)たまりもなくめら/\と燒(や)けました。
竹取物語 (旧字旧仮名) / 和田万吉(著)
留(と)めるのもきかずに松(まつ)五郎(ろう)が火(ひ)のようになって出(で)て行(い)ってしまった後(あと)の画室(がしつ)には、春信(はるのぶ)がただ一人(ひとり)おこのの置(お)いて行(い)った帯(おび)を前(まえ)にして、茫然(ぼうぜん)と煙管(きせる)をくわえていたが
おせん (新字新仮名) / 邦枝完二(著)
遺跡發見物中には灰(はい)も有り燒(や)けたる木片(ぼくへん)も有りてコロボツクルが火(ひ)の用(よう)を知り居りし事は明なるが、鉢形(はちがた)鍋形(なべがた)の土器の中には其外面の燻(くす)ぶりたる物も有れば、湯(ゆ)を沸(わ)かし
コロボックル風俗考 (旧字旧仮名) / 坪井正五郎(著)
君(きみ)が行(ゆ)く道(みち)の長路(ながて)を繰(く)り畳(たた)ね焼(や)き亡(ほろ)ぼさむ天(あめ)の火(ひ)もがも 〔巻十五・三七二四〕 狭野茅上娘子
万葉秀歌 (新字新仮名) / 斎藤茂吉(著)
「お前(まえ)さん、背中(せなか)を高(たか)くしたり、喉(のど)をごろつかせたり、火(ひ)の子(こ)を出(だ)したり出来(でき)るかい。」
日本(にほん)の經濟界(けいざいかい)は其(そ)の爲(ため)に破壞(はくわい)されて居(ゐ)ることは、殆(ほとん)ど火(ひ)を睹(み)るより明(あきら)かなことである。
金解禁前後の経済事情 (旧字旧仮名) / 井上準之助(著)
かつては寒夜客来テ茶当ツレ酒ニ竹罏湯沸テ火初メテ紅ナリ〔寒夜(かんや)に客(きゃく)来(きた)りて茶を酒に当(あ)つ 竹罏(ちくろ)に湯(ゆ)沸(わ)きて火(ひ)初(はじめ)て紅(くれない)なり〕といへる杜小山(としょうざん)が絶句(ぜっく)なぞ口ずさみて殊更煎茶(せんちゃ)のにがきを
矢はずぐさ (新字旧仮名) / 永井荷風(著)
月のないくらい夜(よる)には、この壇ノ浦の浜辺(はまべ)や海の上に、数(かず)しれぬ鬼火(おにび)、——めろめろとした青(あお)い火(ひ)が音もなくとびまわり、すこし風のある夜は、波の上から、源氏(げんじ)と平家(へいけ)とが戦(たたか)ったときの
壇ノ浦の鬼火 (新字新仮名) / 下村千秋(著)
もはや、鋭利(えいり)な錐(きり)の先をもって瞼(まぶた)を突(つ)かれても、まばたきをせぬまでになっていた。不意に火(ひ)の粉(こ)が目に飛入ろうとも、目の前に突然(とつぜん)灰神楽(はいかぐら)が立とうとも、彼は決して目をパチつかせない。
名人伝 (新字新仮名) / 中島敦(著)
然し間もなく月夜になると、明(あかり)を消したアルルカンは友達のピエロオに懇願して、ちよいと戸をあけて、火(ひ)をつけさせてくれろといふ、さては親仁(おやぢ)の金箱ぐるみ、娘をつれて驅落するのか。
胡弓 (旧字旧仮名) / ルイ・ベルトラン(著)
アヽ云(い)ふ奴(やつ)は屹度(きつと)物(もの)を喰(く)はうとするとボーと火か何(なに)か燃上(もえあが)るに違(ちげ)えねえ、一番(ばん)見たいもんだな、食物(くひもの)から火(ひ)の燃(もえ)る処(ところ)を、ウム、幸(さいは)ひ壁(かべ)が少し破れてる、斯(か)うやつて火箸(ひばし)で突(つ)ツついて、ブツ
黄金餅 (新字旧仮名) / 三遊亭円朝(著)
恋愛に就いて、正直も純粋も大切だとはおもうが、もっと大切なことは、自分の周囲に火(ひ)の粉(こ)を散らさぬ用心だろう。つつましい朗(ほが)らかな恋愛だったら、不貞と云いきれないような気がする。
恋愛の微醺 (新字新仮名) / 林芙美子(著)
回々教(フイフイけう)の旅行者(りよかうしや)たちはすつかり面喰(めんくら)つて、ラランを火(ひ)の中(なか)から引(ひ)き出(だ)したが、やつと正気(しやうき)づいたラランは舌(した)の自由(じゆう)がきかないほど、口(くち)の中(なか)を火傷(やけど)してゐた。カラカラと笑(わら)ふどころではなかつた。
火を喰つた鴉 (新字旧仮名) / 逸見猶吉(著)