“觀(み)” の例文
新字:観
〔譯〕雲煙(うんえん)は已(や)むことを得ざるに聚(あつま)る。風雨(ふうう)は已むことを得ざるに洩(も)る。雷霆(らいてい)は已むことを得ざるに震(ふる)ふ。斯(こゝ)に以て至誠(しせい)の作用(さよう)を觀(み)る可し。
古語(こご)に謂(いふ)有(あり)其以てする所を觀(み)其由(そのしたが)ふ所を觀(み)其安んずる所を察す人焉(いづく)んぞ庾(かくさ)ん哉人焉(いづく)んぞ庾(かくさ)ん哉爰に僞(いつは)り飾(かざ)る者有り然れ共其者の眸瞳(ひとみ)の動靜(どうせい)を
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
眞珠太夫の手踊りと唄は、その中にあつて、まことにピカ一的存在であり、當時の兩國フアンは、伽陵頻迦(かりようびんが)とも、天女の舞ひとも觀(み)たのでせう。
廉直(れんちよく)の・(五三)邪枉(じやわう)の臣(しん)に容(い)れられざるを悲(かなし)み、(五四)往者得失(わうしやとくしつ)の變(へん)を觀(み)る、故(ゆゑ)に(五五)孤憤(こふん)・五蠧(と)・内外儲(ないぐわいちよ)・説林(せつりん)・説難(ぜいなん)、十餘萬言(よまんげん)を作(つく)る。
澄(す)んだ空(そら)の月(つき)を寢(ね)ながら眺(なが)める、人(ひと)いきれから逃(のが)れた郊外(こうがい)の樂(たのし)みは、こゝに止(とゞ)めを刺(さ)す……それが觀(み)られない。
ねこ (旧字旧仮名) / 北村兼子(著)
それはもとより噂(うはさ)だけにとゞまつたが、それ以來(いらい)、當分(たうぶん)は芝居(しばゐ)を觀(み)ながら煙草(たばこ)を吸(す)ふものが殆(ほと)んどなくなつた。
死刑 (旧字旧仮名) / 上司小剣(著)
身の邊(ほとり)なる自然と生活とを、人となりての後、當時の情もて觀(み)ましかば、我が作る詩こそ類なき妙品ならめ。
可(よ)し、汝(なんぢ)が觀(み)る處(ところ)予(よ)が心(こゝろ)に合(かな)へり、予(よ)も豫(かね)て杢(もく)をこそと思(おも)ひけれ、今(いま)汝(なんぢ)が説(と)く所(ところ)によりて、愈々(いよ/\)渠(かれ)が人材(じんざい)を確(たしか)めたり、用(もち)ゐて國(くに)の柱(はしら)とせむか、時機(じき)未(いま)だ到(いた)らず
十万石 (旧字旧仮名) / 泉鏡花、泉鏡太郎(著)
その他を觀(み)れば觀る程、確かに子供の時代から彼等に浸(し)み込んでゐる思想や主義などに温和(おとな)しく從つてゐるといふことで、彼をもイングラム孃をも批評したり
烏有先生既に理性界を觀(み)、無意識界を觀て、美の理想ありといひ、又これに適へる極致ありといへり。
柵草紙の山房論文 (旧字旧仮名) / 森鴎外(著)
伊豆(いづ)の修禪寺(しゆぜんじ)に頼家(よりいへ)の面(おもて)といふあり。作人(さくにん)も知れず。由來もしれず。木彫の假面(めん)にて、年を經たるまゝ面目分明ならねど、所謂(いはゆる)古色蒼然たるもの、觀(み)來(きた)つて一種の詩趣をおぼゆ。
修禅寺物語 (旧字旧仮名) / 岡本綺堂(著)
悉(こと/″\)く聽(き)き、悉(こと/″\)く視(み)て、さて後(のち)に最(いっ)ち價値(ねうち)のあるのを取(と)らッしゃれ。熟(とく)と觀(み)らるゝと、女(むすめ)も其(その)一人(ひとり)として數(かず)には入(はひ)ってゐても、勘定(かんぢゃう)には入(はひ)らぬかも知(し)れぬ。さゝ、一しょにござれ。
氣※(きかう)の工合(ぐあひ)や、草木(さうもく)の種類(しゆるい)などで觀(み)ると、亞弗利加(アフリカ)の沿岸(えんがん)にも近(ちか)い樣(やう)な氣持(きもち)もする。
其内(そのうち)又(また)秋(あき)が來(き)た。去年(きよねん)と同(おな)じ事情(じじやう)の下(もと)に、京都(きやうと)の秋(あき)を繰(く)り返(かへ)す興味(きようみ)に乏(とぼ)しかつた宗助(そうすけ)は、安井(やすゐ)と御米(およね)に誘(さそ)はれて茸狩(たけがり)に行(い)つた時(とき)、朗(ほが)らかな空氣(くうき)のうちに又(また)新(あた)らしい香(にほひ)を見出(みいだ)した。紅葉(もみぢ)も三人(さんにん)で觀(み)た。
門 (旧字旧仮名) / 夏目漱石(著)
呉王(ごわう)、臺上(だいじやう)より觀(み)、((孫子ガ))且(まさ)に愛姫(あいき)を斬(き)らんとするを見(み)、大(おほい)に駭(おどろ)き、趣(すみや)かに使(つかひ)をして令(れい)を下(くだ)さしめて曰(いは)く
其(そ)の綱(つな)を透(とほ)し果(は)つるや、筋斗(もんどり)を打(う)ち、飜然(ひらり)と飛(と)んで、土(つち)に掌(てのひら)をつくと齊(ひと)しく、眞倒(まつさかさま)にひよい/\と行(ゆ)くこと十餘歩(じふよほ)にして、けろりと留(と)まる。觀(み)るもの驚歎(きやうたん)せざるはなし。
唐模様 (旧字旧仮名) / 泉鏡花、泉鏡太郎(著)
村の男や女が着飾(きかざ)つて、ぞろ/\この宮の境内(けいだい)に集まつて、佐倉宗五郎(さくらそうごらう)の覗(のぞ)きカラクリの前に立つたり、頭は犬で身體(からだ)は蛇の觀(み)せ物小屋(ものごや)に入らうか入るまいかと相談したり
東光院 (旧字旧仮名) / 上司小剣(著)
觀(み)よと故に八代將軍吉宗(よしむね)公は徳川氏中興(こう)の君と稱(たゝ)へ奉つる程の賢明(けんめい)に在(まし)ませば其下皆其任(にん)に適(かな)はざるなく今般の巡見使松平縫殿頭(ぬひのかみ)殿も藤八お節が訴訟(うつたへ)を一目(もく)して其事僞(いつは)りならざるを
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
「いくら武士でも、自分の妻が苦しんでゐるのを笑つて觀(み)てゐる法はあるまい。」
半七捕物帳:01 お文の魂 (旧字旧仮名) / 岡本綺堂(著)
呉王(ごわう)曰(いは)く、『將軍(しやうぐん)、(一一)罷休(ひきう)し(一二)舍(しや)に就(つ)け、寡人(くわじん)、下(くだ)りて觀(み)るを願(ねが)はず』と。孫子(そんし)曰(いは)く、『王(わう)、徒(いたづら)に其言(そのげん)を好(この)んで、其實(そのじつ)を用(もち)ふること能(あた)はず』
「杢(もく)、辭退(じたい)すな/\、俄(にはか)に富(とみ)は造(つく)らずとも、汝(なんぢ)が心(こゝろ)にて可(よ)しと思(おも)ふやうにさへいたせば可(よ)し」と觀(み)るところを固(かた)く信(しん)じて人(ひと)を疑(うたが)ひ給(たま)はぬは、君(きみ)が賢明(けんめい)なる所以(ゆゑん)なるべし。
十万石 (旧字旧仮名) / 泉鏡花、泉鏡太郎(著)
覗(のぞ)きカラクリよりも、轆轤首(ろくろくび)の觀(み)せ物(もの)よりも、高く町中に廣まつた。
東光院 (旧字旧仮名) / 上司小剣(著)
權三 (笑ふ。)はゝ、好い觀(み)せ物だぜ。
権三と助十 (旧字旧仮名) / 岡本綺堂(著)
是(ここ)に於(おい)て、孫子(そんし)、使(つかひ)をして王(わう)に報(はう)ぜしめて曰(いは)く、『兵(へい)既(すで)に整齊(せいせい)す、王(わう)試(こころ)みに下(くだ)りて之(これ)を觀(み)る可(べ)し。唯(た)だ王(わう)の之(これ)を用(もち)ひんと欲(ほつ)する所(ところ)、水火(すゐくわ)に赴(おもむ)くと雖(いへど)も猶(な)ほ可也(かなり)』
此(こ)の五日(いつか)六日(むいか)、心持(こゝろもち)煩(わづら)はしければとて、客(きやく)にも逢(あ)はず、二階(にかい)の一室(ひとま)に籠(こも)りツ切(きり)、で、寢起(ねおき)の隙(ひま)には、裏庭(うらには)の松(まつ)の梢(こずゑ)高(たか)き、城(しろ)のもの見(み)のやうな窓(まど)から、雲(くも)と水色(みづいろ)の空(そら)とを觀(み)ながら、徒然(つれ/″\)にさしまねいて
印度更紗 (旧字旧仮名) / 泉鏡花、泉鏡太郎(著)
今者(いま)妾(せふ)其(そ)の出(い)づるを觀(み)るに、志念(しねん)深(ふか)し、常(つね)に以(もつ)て(六一)自(みづか)ら下(くだ)る者(もの)有(あ)り。今(いま)、子(し)は長(た)け八尺(しやく)、乃(すなは)ち人(ひと)の僕御(ぼくぎよ)と爲(な)り、然(しか)も子(し)の意(い)自(みづか)ら以(もつ)て足(た)れりと爲(な)す。妾(せふ)是(ここ)を以(もつ)て去(さ)るを求(もと)むる也(なり)
太史公(たいしこう)曰(いは)く、(六三)吾(われ)、管子(くわんし)の(六四)牧民(ぼくみん)・山高(さんかう)・乘馬(じようば)・輕重(けいぢう)・九府(きうふ)及(およ)び(六五)晏子春秋(あんししゆんじう)を讀(よ)むに、詳(つまびらか)なる哉(かな)其(そ)の之(これ)を言(い)ふや。((吾 ))既(すで)に其著書(そのちよしよ)を見(み)、其(その)行事(かうじ)を觀(み)んと欲(ほつ)す。
遂(つひ)に首陽山(しゆやうざん)に餓死(がし)せり。此(これ)に由(よ)つて之(これ)を觀(み)れば(四一)怨(うら)みたるか非(ひ)か。