“歸(き)” の例文
新字:帰
それいと聖なる平安を保つ天の中に一の物體のめぐるあり、これに包まるゝ凡(すべ)ての物の存在はみなこれが力に歸(き)す 一一二—一一四
神曲:03 天堂 (旧字旧仮名) / アリギエリ・ダンテ(著)
仰立(おほせたて)られなば其事のみにて渠等(かれら)に罪(つみ)は歸(き)し候なり其上主と家來の事なれば此公事(このくじ)に於ては御前に九分の強(つよ)みが之あるゆゑ事の次第(しだい)を
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
聞(き)けばこの村(むら)はかつて壯丁(そうてい)の多數(たすう)が出漁中(しゆつりようちゆう)に火(ひ)を失(しつ)して全村(ぜんそん)灰燼(かいじん)に歸(き)したことがあるさうで、これに鑑(かんが)みて其後(そのご)女子(じよし)の消防隊(しようぼうたい)をも編成(へんせい)し
地震の話 (旧字旧仮名) / 今村明恒(著)
彼等(かれら)が幾夜(いくよ)も踊(をど)つて不用(ふよう)に歸(き)した時(とき)には、それが彼等(かれら)の歩(ある)いた路(みち)の傍(はた)に埃(ほこり)に塗(まみ)れながら到(いた)る處(ところ)に抛棄(はうき)せられて散亂(さんらん)して居(ゐ)るのを見(み)るのである。
土 (旧字旧仮名) / 長塚節(著)
で、其言(そのい)ふ所(ところ)は終(つひ)に一つ事(こと)に歸(き)して了(しま)ふ。町(まち)で生活(せいくわつ)するのは好(この)ましく無(な)い。社會(しやくわい)には高尚(かうしやう)なる興味(インテレース)が無(な)い。社會(しやくわい)は曖※(あいまい)な、無意味(むいみ)な生活(せいくわつ)を爲(な)して居(ゐ)る。
六号室 (旧字旧仮名) / アントン・チェーホフ(著)
しかしそれを拒(こば)んで答(こた)へずにしまふのは、殆(ほとん)どそれは譃(うそ)だと云(い)ふと同(おな)じやうになる。近頃(ちかごろ)歸(き)一協會(けふくわい)などでは、それを子供(こども)のために惡(わる)いと云(い)つて氣遣(きづか)つてゐる。
寒山拾得縁起 (旧字旧仮名) / 森鴎外(著)
成程(なるほど)一旦(いつたん)他(ひと)の所有(しよいう)に歸(き)したものは、たとひ元(もと)が自分(じぶん)のであつたにしろ、無(な)かつたにしろ、其所(そこ)を突(つ)き留(と)めた所(ところ)で、實際上(じつさいじやう)には何(なん)の効果(かうくわ)もない話(はなし)に違(ちがひ)なかつた。
門 (旧字旧仮名) / 夏目漱石(著)
東京のさる專門學校の生徒(と)である草野金太郎は、春休(やす)みで故郷(けう)の町に歸(き)省してゐたが、春休(やす)みも終つたので、あと二時間もするとまた一人で東京にたつのである。
坂道 (旧字旧仮名) / 新美南吉(著)
是非の心偏すれば、民或は兄弟牆(かき)に鬩(せめ)ぎ父子相訟(うつた)ふ者有り。凡そ情の偏するや、四端(たん)と雖遂に不善(ふぜん)に陷(おちい)る。故に學んで以て中和を致(いた)し、過不及(かふきふ)無きに歸(き)す、之を復性(ふくせい)の學と謂ふ。
(二九)柯(か)の會(くわい)に於(おい)て、(三〇)桓公(くわんこう)、曹沫(さうばつ)の約(やく)に背(そむ)かんと欲(ほつ)す、管仲(くわんちう)因(よ)つて之(これ)を信(しん)にす。諸矦(しよこう)是(これ)に由(よ)つて齊(せい)に歸(き)せり。故(ゆゑ)に曰(いは)く、(三一)『與(あた)ふるの取(と)るたるを知(し)るは政(まつりごと)の寶(たから)也(なり)』
全(まつた)く水泡(すいほう)に歸(き)したと思(おも)はれたので、今(いま)は、其(その)愛兒(あいじ)をば國(くに)に獻(さゝ)ぐる事(こと)の出來(でき)ぬ代(かは)りに、せめては一艘(いつそう)の軍艦(ぐんかん)を獻納(けんなう)して、國(くに)に盡(つく)す日頃(ひごろ)の志(こゝろざし)を遂(と)げんものと、其(その)財産(ざいさん)の一半(いつぱん)を割(さ)き、三年(さんねん)の日月(じつげつ)を經(へ)て
此等(これら)の七福(しちふく)を余(よ)は悉(こと/″\)く灌水(くわんすゐ)の徳(とく)に歸(き)するものなり。
命の鍛錬 (旧字旧仮名) / 関寛(著)
制(せい)し凱歌(かちどき)の聲(こゑ)いさましく引揚(ひきあ)げしにそれとかはりて松澤(まつざは)が周章狼狽(しうしやうらうばい)まこと寐耳(ねみゝ)に出水(でみづ)の騷動(さうどう)おどろくといふ暇(ひま)もなく巧(たく)みに巧(たく)みし計略(けいりやく)に爭(あらそ)ふかひなく敗訴(はいそ)となり家藏(いへくら)のみか數代(すだい)續(つゞ)きし暖簾(のれん)までも皆(みな)かれが手(て)に歸(き)したれば木(き)より落(おち)たる山猿同樣(やまざるどうやう)たのむ木蔭(こかげ)の雨森新七(あめもりしんしち)といふ番頭(ばんとう)の白鼠(しろねづみ)去年(きよねん)生國(しやうこく)へ歸(かへ)りし後(のち)は
別れ霜 (旧字旧仮名) / 樋口一葉(著)
盜(ぬす)み取(とり)しならんと尋ねられけるに小兵衞は最早(もはや)遁(のが)れぬ所なり何日迄陳じ居て拷門(がうもん)に懸(かゝ)らんよりは速かに白状(はくじやう)し罪に歸(き)せんと覺悟を
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
各所(かくしよ)の太鼓(たいこ)の音(おと)が興味(きようみ)は却(かへつ)て此(こ)れからだといふ樣(やう)に沈(しづ)んだ夜(よ)を透(とほ)して一直線(ちよくせん)に響(ひゞ)いて來(く)る。唄(うた)の聲(こゑ)は遠(とほ)く近(ちか)く聞(きこ)える。夜(よる)は全(まつた)く踊(をど)るものゝ領域(りやうゐき)に歸(き)した。
土 (旧字旧仮名) / 長塚節(著)
もし村民(そんみん)の訓練(くんれん)が不行屆(ふゆきとゞ)きであり、或(あるひ)は火(ひ)を消(け)すことを第二(だいに)にしたならば、恐(おそ)らくは全村(ぜんそん)烏有(うゆう)に歸(き)し、人命(じんめい)の損失(そんしつ)は助(たす)けられた五十八名(ごじゆうはちめい)の中(なか)にも及(およ)んだであらう。
地震の話 (旧字旧仮名) / 今村明恒(著)
貴方(あなた)は如何(どう)したら可(よ)からうと有仰(おつしや)るが。貴方(あなた)の位置(ゐち)を好(よ)くするのには、此(こゝ)から逃出(にげだ)す一方(ぱう)です。然(しか)し其(そ)れは殘念(ざんねん)ながら無益(むえき)に歸(き)するので、貴方(あなた)は到底(たうてい)捉(とら)へられずには居(を)らんです。
六号室 (旧字旧仮名) / アントン・チェーホフ(著)
莊子(さうじ)は(一八)蒙人(もうひと)也(なり)。名(な)は周(しう)。周(しう)嘗(かつ)て蒙(もう)の(一九)漆園(しつゑん)の吏(り)たり。梁(りやう)の惠王(けいわう)・齊(せい)の宣王(せんわう)と時(とき)を同(おな)じうす。(二〇)其學(そのがく)は闚(うかが)はざる所(ところ)無(な)し。然(しか)れども其要(そのえう)は老子(らうし)の言(げん)に本(もと)づき歸(き)す。
〔譯〕心の官(かん)は則ち思ふ。思の字只是れ工夫(くふう)の字なり。思へば則ち愈精明(せいめい)なり、愈篤實(とくじつ)なり。其の篤實より之を行と謂ひ、其の精明より之を知と謂ふ。知と行とは一の思の字に歸(き)す。
宗助(そうすけ)の手際(てぎは)では、室内(しつない)に煖爐(だんろ)を据(す)ゑ付(つ)ける設備(せつび)をする丈(だけ)でも容易(ようい)ではなかつた。夫婦(ふうふ)はわが時間(じかん)と算段(さんだん)の許(ゆる)す限(かぎ)りを盡(つく)して、專念(せんねん)に赤兒(あかご)の命(いのち)を護(まも)つた。けれども凡(すべ)ては徒勞(とらう)に歸(き)した。
門 (旧字旧仮名) / 夏目漱石(著)
夙(つと)よりぞ君に歸(き)しぬ
歌よ、ねがふは (旧字旧仮名) / アリギエリ・ダンテ(著)
逐(ちく)一に白状(はくじやう)には及(および)ぬ然(され)ば殺害せしと思ふ當人を取逃(とりにが)し殊に御法度(はつと)の一人旅(ひとりたび)を泊(とめ)し落度(おちど)の申譯立ちがたく罪は徳右衞門一人に歸(き)し長き牢舍(らうしや)のうち憐(あはれ)むべし渠(かれ)は牢死(ろうし)を
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
お品(しな)も恁(か)ういふ伴侶(なかま)の一人(ひとり)であつた。それが今日(けふ)は其(そ)の笑聲(せうせい)を後(あと)にして冷(つめ)たい土(つち)に歸(き)したのである。
土 (旧字旧仮名) / 長塚節(著)
『我々(われ/\)は到底(たうてい)合奏(がつそう)は出來(でき)ません、私(わたくし)を貴方(あなた)の信仰(しんかう)に歸(き)せしむる譯(わけ)には行(ゆ)きませんから。』
六号室 (旧字旧仮名) / アントン・チェーホフ(著)
管仲(くわんちう)の富(とみ)、公室(こうしつ)に(三二)擬(ぎ)し、(三三)三歸(き)反坫(はんてん)あり。(三四)齊人(せいひと)以(もつ)て侈(おご)ると爲(な)さず。管仲(くわんちう)卒(しゆつ)す。(三五)齊國(せいこく)其政(そのまつりごと)に遵(したが)つて、常(つね)に諸矦(しよこう)に彊(つよ)かりき。後(のち)百餘年(よねん)にして晏子(あんし)あり。
叔齊(しゆくせい)も亦(また)立(た)つを肯(がへ)んぜずして之(これ)を逃(のが)る。國人(こくじん)、其中子(そのちうし)を立(た)つ。是(ここ)に於(おい)て、伯夷(はくい)・叔齊(しゆくせい)、(二五)西伯昌(せいはくしやう)善(よ)く老(らう)を養(やしな)ふと聞(き)き、(曰ク)『盍(なん)ぞ往(ゆ)いて歸(き)せざる』と。至(いた)るに及(およ)んで西伯(せいはく)卒(しゆつ)す。
太史公(たいしこう)曰(いは)く、老子(らうし)の貴(たつと)ぶ所(ところ)の道(みち)は、(一二二)虚無(きよむ)にして因應(いんおう)し、無爲(むゐ)に變化(へんくわ)す、故(ゆゑ)に著書(ちよしよ)、(一二三)辭稱(じしよう)微妙(びめう)にして識(し)り難(がた)し。莊子(さうじ)は(一二四)道徳(だうとく)を散(さん)じて放論(はうろん)す、要(えう)は亦(また)之(これ)を自然(しぜん)に歸(き)せり。