“たう”のいろいろな漢字の書き方と例文
カタカナ:タウ
語句割合
當12.9%
薹12.9%
唐9.7%
刀8.6%
食6.5%
倒5.4%
島4.3%
党4.3%
投3.2%
黨3.2%
度2.2%
湯2.2%
田植2.2%
盜2.2%
塔1.1%
田打1.1%
透1.1%
喰1.1%
堪1.1%
当1.1%
棠1.1%
槄1.1%
橙1.1%
滔1.1%
籐1.1%
糖1.1%
耐1.1%
蕩1.1%
討1.1%
鐺1.1%
陶1.1%
鞺1.1%
韜1.1%
(注) 作品の中でふりがなが振られた語句のみを対象としているため、一般的な用法や使用頻度とは異なる場合があります。
カピ妻 では、其方(そなた)は、殺(ころ)した當(たう)の惡黨(あくたう)が尚(まだ)存(ながら)へてゐくさるのを、然程(さほど)にはお泣(な)きゃらぬな?
恁(か)うして居(ゐ)る間(あひだ)に春(はる)の彼岸(ひがん)が來(き)て日南(ひなた)の垣根(かきね)には耳菜草(みゝなぐさ)や其(その)他(た)の雜草(ざつさう)が勢(いきほひ)よく出(で)だして桑畑(くはばたけ)の畦間(うねま)には冬(ふゆ)を越(こ)した薺(なづな)が線香(せんかう)の樣(やう)な薹(たう)を擡(もた)げて、其(そ)の先(さき)に粉米(こごめ)に似(に)た花(はな)を聚(あつ)めた。
土 (旧字旧仮名) / 長塚節(著)
それにしても私たちが聞きかじつてゐる明治以前の文明は、みんな、唐(たう)や明(みん)を通してきてゐるものだけに、私たちにはわからないから、ただ、ボヤツと驚いた。
日本橋あたり (旧字旧仮名) / 長谷川時雨(著)
切りたるぞ疾(はや)く捕(とら)へ給はれと云ふ間あらせず重四郎は心得たりと一刀(たう)閃(ひら)りと拔より早く練馬(ねりま)藤兵衞を後背(うしろ)よりばつさり袈裟掛(けさがけ)に切放しければ是を
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
その痛さより、身は砕くるかと思へども、なほも命はあらしゃった。されども慈悲もある人の、生きたと見てはとても食(たう)べはせまいとて、息を殺し眼(め)をつぶってゐられたぢゃ。
二十六夜 (新字旧仮名) / 宮沢賢治(著)
病人(びやうにん)は七顛(てん)八倒(たう)して悲鳴(ひめい)を上(あ)げるのが、娘(むすめ)が来(き)て背中(せなか)へぴつたりと胸(むね)をあてゝ肩(かた)を押(おさ)へて居(ゐ)ると、我慢(がまん)が出来(でき)る、といつたやうなわけであつたさうな。
高野聖 (新字旧仮名) / 泉鏡花、泉鏡太郎(著)
櫻木海軍大佐(さくらぎかいぐんたいさ)は今(いま)や此(この)島(たう)中(ちゆう)に身(み)を潜(ひそ)めて兼(かね)て企(くわだ)つるといふ、軍事上(ぐんじじやう)の大發明(だいはつめい)に着手(ちやくしゆ)して居(を)るのではあるまいか。讀者(どくしや)諸君(しよくん)も恐(おそ)らく此邊(このへん)の想像(さうぞう)は付(つ)くだらう。
近江の二六佐々木氏綱(ささきうぢつな)に密(みそか)の使(つかひ)にえらばれて、かの館(みたち)にとどまるうち、前(さき)の城主二七尼子経久(あまこつねひさ)、二八山中党(たう)をかたらひて、二九大三十日(みそか)の夜三〇不慮(すずろ)に城を乗りとりしかば
余(よ)は基督(きりすと)の兵卒(へいそつ)なり、兵卒は其時(そのとき)の来(きた)る迄(まで)は何(なに)をなすべきかを知らず、主(しゆ)の命(めい)ならん乎、余(よ)は高壇(かうだん)に立(た)つ事もあるべし、官海(くわんかい)に身(み)を投(たう)ずるやも計(はか)られず、基督信者は目的(もくてき)なき者なり
問答二三 (新字旧仮名) / 内村鑑三(著)
天(てん)の・善人(ぜんにん)に報施(はうし)する、其(そ)れ如何(いかん)ぞ哉(や)。(四九)盜跖(たうせき)は日(ひ)に(五〇)不辜(ふこ)を殺(ころ)し、(五一)人(ひと)の肉(にく)を肝(かん)にし、(五二)暴戻恣睢(ばうれいしき)、黨(たう)を聚(あつ)むること數(すう)千人(にん)、天下(てんか)を横行(わうかう)せしが、竟(つひ)に壽(じゆ)を以(もつ)て終(をは)れり。
固(かた)め度(たう)思ひますから好(よき)入夫(にふふ)の口でも有ましたなら御世話を
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
(七八)夏桀(かけつ)の居(きよ)は(七九)河濟(かせい)を左(ひだり)にし、(八〇)泰華(たいくわ)を右(みぎ)にし、(八一)伊闕(いけつ)其南(そのみなみ)に在(あ)り、(八二)羊腸(やうちやう)其北(そのきた)に在(あ)りしが、政(まつりごと)を修(をさ)むること仁(じん)ならず、湯(たう)、之(これ)を放(はな)てり。
それは、夏のはじめで、田植(たう)えのすんだ頃(ころ)のある夜でした。林太郎は、右どなりの家のおきぬさんという娘(むすめ)につれられて、湖のふちへほたるをとりにいったのでした。
あたまでっかち (新字新仮名) / 下村千秋(著)
其子(そのこ)曰(いは)く、「築(きづ)かずんば且(まさ)に盜(たう)有(あ)らんとす」と。其(その)鄰人(りんじん)の父(ちち)も亦(また)云(い)ふ。暮(くれ)にして果(はた)して大(おほい)に其財(そのざい)を亡(うしな)ふ。其家(そのいへ)甚(はなは)だ其(そ)の子(こ)を(一〇一)知(ち)として、鄰人(りんじん)の父(ちち)を疑(うたが)へり。
塔(たう)は高(たか)さ三尺(じやく)五寸(すん)、三尖方形(さんせんほうけい)の大理石(だいりせき)で、其(その)滑(なめらか)なる表面(ひやうめん)には「大日本帝國新領地朝日島(だいにつぽんていこくしんりようちあさひとう)」なる十一字(じ)が深(ふか)く刻(きざ)まれて、塔(たふ)の裏面(うら)には、發見(はつけん)の時日(じじつ)と、發見者(はつけんしや)櫻木海軍大佐(さくらぎかいぐんたいさ)の名(な)とが
塔(たう)を擔(かつ)いで來(き)た武村兵曹(たけむらへいそう)は息(いき)を切(き)らしながら大佐(たいさ)に向(むか)ひ
五月十一日 日曜 曇(くもり) 午前は母や祖母(そぼ)といっしょに田打(たう)ちをした。午后(ごご)はうちのひば垣(がき)をはさんだ。何だか修学旅行(しゅうがくりょこう)の話が出てから家中へんになってしまった。僕はもう行かなくてもいい。
或る農学生の日誌 (新字新仮名) / 宮沢賢治(著)
 僕(ぼく)もそこで母が家へ帰るまで田打(たう)ちをして助(たす)けた。
或る農学生の日誌 (新字新仮名) / 宮沢賢治(著)
翌朝(よくあさ)、銅鑼(どら)の鳴(な)る音(ね)に驚(おどろ)き目醒(めさ)めたのは八時(じ)三十分(ぷん)で、海上(かいじやう)の旭光(あさひ)は舷窓(げんさう)を透(たう)して鮮明(あざやか)に室内(しつない)を照(てら)して居(を)つた。船中(せんちゆう)八時(じ)三十分(ぷん)の銅鑼(どら)は通常(つうじやう)朝食(サツパー)の報知(しらせ)である。
と大聲(おほごゑ)に搖醒(ゆりさま)すものがあるので、愕(おどろ)いて目(め)を醒(さま)すと、此時(このとき)日(ひ)は全(まつた)く暮(く)れて、部室(へや)の玻璃窓(がらすまど)を透(たう)して、眺(なが)むる海(うみ)の面(おも)には、麗(うる)はしき星影(ほしかげ)がチラ々々と映(うつ)つて居(を)つた。
こと/″\く 喰(たう)べつくして
髪切虫 (新字新仮名) / 夢野久作(著)
夫婦暮(ぐら)しなれば格別(かくべつ)、もしも三、五人の子供または老親あれば、歳入(さいにゅう)を以て衣食を給するに足(た)らず。故に家内(かない)力役(りきえき)に堪(たう)る者は男女を問わず、或は手細工(てざいく)或は紡績(ぼうせき)等の稼(かせぎ)を以て辛(かろ)うじて生計(せいけい)を為(な)すのみ。
旧藩情 (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)
いゝえ、初めは真(ま)つ当(たう)な仕事をするつもりで出かけたんですが、恰度食へなくなつた時、ある手品師の一行に入つて事務員見たいなものを
手品師 (新字旧仮名) / 久米正雄(著)
女(むすめ)棠(たう)に至つては、稍呼び難きが故に、特に棠嬢と称した。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
此問題は頗(すこぶる)困難である。説文に拠れば楸は梓(し)である。爾雅を検すれば、槄(たう)、楰(ゆ)、櫰(くわい)、槐(くわい)、榎(か)、楸(しう)、椅(い)、梓(し)等が皆相類したものらしく、此数者は専門家でなくては辨識し難い。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
「橙(たう)青き丘の別れや葛の花」
微笑 (新字新仮名) / 横光利一(著)
冬の雨水滔(たう)々と集り寄せて道崩し、 420
イーリアス:03 イーリアス (旧字旧仮名) / ホーマー(著)
今日(けふ)牧野事務員に託してマルセイユ迄行(ゆ)く仲間丈(だけ)甲板(デツキ)用の籐(たう)の寝椅子を買つて貰つたが、一個一円五十銭づつとは廉(やす)い事である。
巴里より (新字旧仮名) / 与謝野寛、与謝野晶子(著)
丸山名物(まるやまめいぶつ)ぢやがら糖(たう)
どんたく:絵入り小唄集 (新字旧仮名) / 竹久夢二(著)
然るに肩は軽くなるも両手に久(ひさし)く耐(たう)る事能わず。依て亦両手の労を休まんとして両手を前にする時は、直(ただち)に叺を両方より結びたる藁縄に喉頭(のどくび)を押(おし)しめて呼吸絶(たえ)なんとして痛みあり。
関牧塲創業記事 (新字新仮名) / 関寛(著)
春風(しゆんぷう)珠簾(しゆれん)を吹いて、銀鉤(ぎんこう)を蕩(たう)するの処、蛾眉(がび)の宮人の衣裙(いくん)を洗ふを見る、月事(げつじ)も亦(また)風流ならずや。(四月十六日)
同(おな)じ時(とき)、賈雍將軍(かようしやうぐん)は蒼梧(さうご)の人(ひと)、豫章(よしやう)の太守(たいしゆ)として國(くに)の境(さかひ)を出(い)で、夷賊(いぞく)の寇(あだ)するを討(たう)じて戰(たゝかひ)に勝(か)たず。遂(つひ)に蠻軍(ばんぐん)のために殺(ころ)され頭(かうべ)を奪(うば)はる。
唐模様 (旧字旧仮名) / 泉鏡花、泉鏡太郎(著)
缺脣の罌(あう)、沒耳の鐺(たう)、雜然紛然として亂堆歪列すべき情勢がある。
努力論 (旧字旧仮名) / 幸田露伴(著)
同遊者の渋江六柳(りくりう)は抽斎である。小野抱経(はうけい)は富穀(ふこく)である。抱経と号したには笑ふべき来歴があるが、事の褻(せつ)に亘るを忌んで此に記さない。石川二陶(たう)は貞白(ていはく)であらう。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
鞺(たう)とばかりに投げ出だし、膝にて頸をば圧へ付け
藤八はオヽ吃驚(びつくり)する筈(はず)貴方(きさま)が歸つた其跡に落して置た此三徳中は六韜(たう)三略の卷ドリヤ/\讀で聞せやう皆の衆(しう)膽(きも)を
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)