“がう”のいろいろな漢字の書き方と例文
語句割合
毫42.3%
號14.1%
郷11.3%
号9.9%
剛5.6%
轟4.2%
強2.8%
亳1.4%
傲1.4%
劫1.4%
囂1.4%
壕1.4%
熬1.4%
豪1.4%
(注) 作品の中でふりがなが振られた語句のみを対象としているため、一般的な用法や使用頻度とは異なる場合があります。
彼が生立(おひたち)の状況洋行の源因就学の有様を描きたりとて本篇に幾干(いくばく)の光彩を増すや、本篇に幾干の関係あるや、予は毫(がう)も之が必要を見ざるなり。
舞姫 (新字旧仮名) / 石橋忍月(著)
其後(そのご)三月(ぐわつ)二十八日(にち)に、内山(うちやま)九三郎(らう)氏(し)が發掘(はつくつ)して、大把手(おほとつて)を出(だ)した。其記事(そのきじ)は東京人類學會雜誌(とうきやうじんるゐがくゝわいざつし)の八十六號(がう)に記載(きさい)せられてある。
着たるは一郷(がう)に往々(まゝ)ある事加之(そのうへ)女が死骸も他人にて白妙(しろたへ)に相違なし然らば惣内里では有まじサア有體(ありてい)に白状致せ左右(とかく)強情を
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
我楽多文庫(がらくたぶんこ)の第五期(だいごき)に成(な)る、表画(ひやうぐわ)は故(こ)穂庵翁(すゐあんおう)の筆で文昌星(ぶんしやうせい)の図(づ)でした、是(これ)が前(さき)の廃刊(はいかん)した号を追つて、二十二号(がう)迄(まで)出して
硯友社の沿革 (新字旧仮名) / 尾崎紅葉(著)
出立(たちいで)窺(うかゞ)ひ居たり此三人の中頭立(かしらたち)たる一人は甲州にて名高き惡漢(わるもの)韮崎(にらさき)出生(しゆつしやう)の雲切仁左衞門といふ者なり若年(じやくねん)の頃(ころ)より心剛(がう)にして眞影流(しんかげりう)の劔術(けんじゆつ)を
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
思(おも)はずあツといつて失望(しつばう)した時(とき)、轟々(がう/\)轟(がう)といふ波(なみ)の音(おと)。
星あかり (旧字旧仮名) / 泉鏡花(著)
友(とも)は心(こゝろ)強(がう)にして、小夜(さよ)の螢(ほたる)の光(ひかり)明(あか)るく、梅(うめ)の切株(きりかぶ)に滑(なめら)かなる青苔(せいたい)の露(つゆ)を照(てら)して、衝(つ)と消(き)えて、背戸(せど)の藪(やぶ)にさら/\とものの歩行(ある)く氣勢(けはひ)するをも恐(おそ)れねど、我(われ)は彼(か)の雨(あめ)の夜(よ)を惱(なや)みし時(とき)、朽木(くちき)の燃(も)ゆる
森の紫陽花 (旧字旧仮名) / 泉鏡花(著)
小生は、単に過去の事蹟の記録統計たるに留まらば、歴史てふ興味ある問題も人生に対して亳(がう)も存在の意義を有せざる者なる事に就きて、深沈なる同君の考慮を煩はしたく存候。
渋民村より (新字旧仮名) / 石川啄木(著)
然らずして、徒(いたづら)に聞見を貪(むさぼ)るのみならば、則ち或は傲(がう)を長(ちやう)じ非を飾(かざ)らんことを恐る。謂はゆる寇(こう)に兵を假(か)し、盜(たう)に糧(りやう)を資(し)するなり、虞(おもんぱか)る可し。
篇中で一番面白いのは、大臣のつれないのに劫(がう)を煮やして、尼になる覚悟で、鳴滝の山寺に参籠する条である。あそこは立派に小説になる。
早春 (新字旧仮名) / 田山花袋、田山録弥(著)
囂(がう)と云ふ響をこだまにかへして、稀に汽車が向山を通つて行く。寂しい。晝飯に川魚をと注文したら、石狩川を前に置いて、罐詰の筍(たけのこ)の卵とぢなど食はした。
熊の足跡 (旧字旧仮名) / 徳冨蘆花(著)
銃(つつ)向けて壕(がう)に押し並(な)む鉄兜眼には堪ふるか待つある時を
黒檜 (新字旧仮名) / 北原白秋(著)
その又汁も淡薄であるから、熬(がう)して膏とすることは出来ない。
鴉片 (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
わたくしは此詩句を取つて、姑(しばら)く妄(みだり)に下(しも)の如くに解する。霞亭の学術は前年癸亥に略(ほゞ)成つた。歳晩の舟遊は、その新に卒業して気(き)揚(あが)り興(きよう)豪(がう)なる時に於てせられた。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)