“停(と)” の例文
忍びがたいのを忍んで岸本が家の前に停(と)めさせた車から降りた時、軒下の壁の破れや短い竹垣の荒れ朽ちたのが先(ま)ず彼の眼についた。
新生 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
「あはははっ……。口で唱える念仏の声は禁じても、心のうちで唱える念仏を停(と)められようか。ばかなッ!」と、人も無げに罵(ののし)って
親鸞 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
果して、一人の若者が、月光の中へ現われた。肩に何か停(と)まっている。長い太い尾をピンと立てた、非常に気味の悪い獣(けもの)であった。
大捕物仙人壺 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
我々はどこに安んじたらよいのだ。停(と)まろうとすれば倒れぬわけにいかぬゆえ、やむを得ず走り下り続けているのが我々の生じゃ。
悟浄出世 (新字新仮名) / 中島敦(著)
水が脈を立てゝ心持よく流れてゐるあたりまでかの女はその足を停(と)めなかつた。種子はそこに行つて始めてほつと呼吸(いき)をついた。
草みち (新字旧仮名) / 田山花袋、田山録弥(著)
そしてこんどは崩(くず)れた塀の前に足を停(と)め足場を調べた上で、二人は一向に悪(わる)びれた様子もなく、煉瓦の山を踏みわけて、塀の内に入った。
千早館の迷路 (新字新仮名) / 海野十三(著)
炭火が一つあげられた時には、天候の悪くなる印(しるし)と見て船を停(と)め、二つあげられた時には安全になった印として再び進まねばならぬのだ。
生まれいずる悩み (新字新仮名) / 有島武郎(著)
汽車は少しずつ行って一二度停(と)まった。それからメラン停車場に這入(はい)ったのは、夏のように暖かく日の差している午前であった。
みれん (新字新仮名) / アルツール・シュニッツレル(著)
余はただ境内(けいだい)を拝見にと答えて、同時に足を停(と)めたら、坊主は直(ただ)ちに、何もありませんぞと言い捨てて、すたすた下りて行った。
草枕 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
町(まち)の中(なか)を歩(ある)いている娘(むすめ)は、ただこのとき、汽笛(きてき)の音(おと)を耳(みみ)に聞(き)いたばかりです。それは、港(みなと)に停(と)まっている汽船(きせん)から吹(ふ)いた笛(ふえ)の音(おと)であります。
気まぐれの人形師 (新字新仮名) / 小川未明(著)
機関手は直に機関車を停(と)めたるに飛込み遅れたる同行の青年は斯(か)くと見るや直に同校の土堤に凭(よ)り蒐(かか)り様(ざま)短刀にて咽喉部を突きて打倒れたり。
芳川鎌子 (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)
暴動はすべて、商店を閉ざし、資本を萎靡(いび)させ、相場に恐慌をきたさせ、取り引きを停(と)め、事業を遅滞させ、破産を招致する。金融は止まる。
或日こういう場合に、安が停(と)めようとすると、宗右衛門はこれをも髪を攫(つか)んで拉(ひ)き倒して乱打し、「出て往(ゆ)け」と叫んだ。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
しかし、馬車がいよいよ彼女の後ろに接近してその横を通り過ぎようとしても、正勝は馬車を停(と)めようとはしなかった。
恐怖城 (新字新仮名) / 佐左木俊郎(著)
照子は眼中に涙を湛(たた)えて、屹(きっ)と婦人(おんな)を凝視(みつめ)ながら、「それでは。」となお謂わんとすれば、夫人密(ひそか)にその袂(たもと)を控え、眼注(めくばせ)して停(と)めらる。振切って
貧民倶楽部 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
根戸川に架かった大きな鉄橋を渡るとき、私は車を停(と)めてもらって、川の上流と下流を眺(なが)めやった。どっちを見てもすっかりようすが変っていた。
青べか物語 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
工夫の人は立って、棚(たな)から帽子をとり、道具を入れた布の袋を持って、扉(と)の掛金を外して停(と)まるのを待ってゐました。
化物丁場 (新字旧仮名) / 宮沢賢治(著)
その、大迫玄蕃と浅香慶之助のところへ、喬之助が前記の如く抹殺線(まっさつせん)を引いて、一番首二番首と書き入れをした時、おもてに、三梃(ちょう)の駕籠(かご)が停(と)まった。
魔像:新版大岡政談 (新字新仮名) / 林不忘(著)
すると、人の注意を惹(ひ)くことを恐れたとみえて、二人の男はすばやく相談ののち馬車を停(と)めて、そこの路傍(ろぼう)の草の上へウォルタアだけをおろしたのである。
チャアリイは何処にいる (新字新仮名) / 牧逸馬(著)
併し其等は一切無益であった。彼女は歩度を緩めて彼を振向いた。足を停(と)めた。最早取返しは付かなくなった。狼狽(ろうばい)の余り却(かえっ)て誤間化(ごまか)す事が出来なかった。
偽刑事 (新字新仮名) / 川田功(著)
モルガンは歩みを停(と)めて、動揺する林を注意深く窺いいたり。彼は何事をも語らざりき。しかも、その銃の打ち金(がね)をあげて、何物をか狙うがごとくに身構えせり。
機関手は運転を停(と)めてブレーキをかけました。列車は五百ヤードほども行き過ぎたのです。私がすぐに駈けてゆくと、そのあいだに怖ろしい叫び声を聞きました。
幾(いく)つもの大牧場を通って——途中(とちゅう)でだいぶ自動車を停(と)めた露骨(ろこつ)なランデェブウにもお目にかかりました。
オリンポスの果実 (新字新仮名) / 田中英光(著)
その自動車が軽井沢ステエションの表口まで来て停(と)まると、中から一人のドイツ人らしい娘を降した。
ルウベンスの偽画 (新字新仮名) / 堀辰雄(著)
源氏は言って、車をやるのでなく、停(と)めるのでもなく、躊躇(ちゅうちょ)している時に、よい女車で人がいっぱいに乗りこぼれたのから、扇を出して源氏の供を呼ぶ者があった。
源氏物語:09 葵 (新字新仮名) / 紫式部(著)
学者は貧富を超えて道を楽しみ礼を好むのでなくてはならない。この道は無限の修養である。切磋琢磨(せっさたくま)はこの停(と)まるところのない無限の道の合い言葉にほかならぬ。
孔子 (新字新仮名) / 和辻哲郎(著)
そんなことを考えながら、甲南学校前あたり迄やって来ると、国粋堂と云うラジオ屋の前で自転車を停(と)めて、外から店を覗(のぞ)いてみて、主人がいるのを確かめてから
猫と庄造と二人のおんな (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
そこで二人は都電で六本木まで行くことにしたが、栖方は、自動車の番号を梶に告げ、街中で見かけたときはその番号を呼び停(と)めていつでも乗ってくれと云ったりした。
微笑 (新字新仮名) / 横光利一(著)
葬列は町外れへ出て、川に架った長橋を眺め渡される堤の地点で、ちょっと棺輿を停(と)めた。
雛妓 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
そしていま一日、もう一日と停(と)められているあいだに、筒井は気が気でないようなあせった気持になった。哀れな唖の娘は終日彼女のそばを離れず、弟も同様はなれなかった。
津の国人 (新字新仮名) / 室生犀星(著)
こんな事は、時々ある。誰かと部屋に坐って話をしている。目が、テエブルのすみに行ってコトンと停(と)まって動かない。口だけが動いている。こんな時に、変な錯覚を起すのだ。
女生徒 (新字新仮名) / 太宰治(著)
赤坂御門近く來ると、何やら往來がザワザワして居りますが、張り切つた駕籠の足を停(と)めやうもありません。田町の大澤彦四郎の家へ着くと、中はまさに、湧(わ)くやうな騷ぎです。
私はそれを見て心を決しかねて、なお後からついてゆくと、彼はしばらく行くと、馬を停(と)めておいて、道傍(みちばた)にあり合わした藁塚(わらづか)から藁を抜き取って来て、それを箱の中に敷いて
狂乱 (新字新仮名) / 近松秋江(著)
『巧(うま)い事(こと)云(い)つてら!』と云(い)ひ捨(す)てゝ鳩(はと)は再(ふたゝ)び巣(す)に落着(おちつ)きました、愛(あい)ちやんは首(くび)が枝(えだ)から枝(えだ)に絡(から)みさうなので、出來(でき)るだけ森(もり)の中(なか)に屈(かゞ)んでゐましたが、歩(ある)く時(とき)には屡々(しば/\)足(あし)を停(と)めて
愛ちやんの夢物語 (旧字旧仮名) / ルイス・キャロル(著)
徳太郎(とくたろう)と千吉(きち)とが、不忍池畔(しのばずちはん)の春草亭(しゅんそうてい)に駕籠(かご)を停(と)めたのは、それから間(ま)もない後(あと)だった。
おせん (新字新仮名) / 邦枝完二(著)
もし旅人、疲れし足をこのほとりに停(と)めしとき、何心(なにごころ)なく見廻わして、何らの感もなく行過ぎうべきか。見かえればかしこなるは哀れを今も、七百年の後にひく六代御前(ろくだいごぜん)の杜(もり)なり。
たき火 (新字新仮名) / 国木田独歩(著)
務はその下に往くとぴったり足を停(と)めてその枝をじっと見あげた後に両手を兵児帯(へこおび)に掛けていそがしそうに解いた。そして、くるくると解けたその帯の一方を円(まる)めて枝の方に投げた。
白っぽい洋服 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
恋の手綱(たづな)と荒馬の鬣(たてがみ)はつかみ難いと申しますが、わたくしのこの恋心も、たとえばどのように上手(じょうず)な運転手が制動機(フェレン)を掛けたとて、きっと停(と)めることはできないと思うのでございます。
其女(そのをんな)は才(さい)も働(はたら)き、勉強(べんきやう)も出来(でき)、優(すぐ)れて悧巧(りこう)な質(たち)であつたが、或時(あるとき)脊負揚(しよいあげ)のなかゝら脱落(ぬけお)ちた男(をとこ)の文(ふみ)で、其保護者(そのほごしや)の親類(しんるゐ)の細君(さいくん)に感(かん)づかれ、一時(じ)学校(がくかう)も停(と)められて、家(うち)に禁足(きんそく)されてゐたが
背負揚 (新字旧仮名) / 徳田秋声(著)
三、四日して玉は途(みち)を歩いていた。一人の女が涙を流しながら向うへいっていた。玉は馬を停(と)めてそっと見た。それはこの世に住んでいる人にはほとんど較べる者のない美しい女であった。
阿英 (新字新仮名) / 蒲 松齢(著)
わたしらのような子供でも実に恍然(うっとり)として足を停(と)めずにはいられなかった。
明治劇談 ランプの下にて (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
ちょうどそこへ自動車が停(と)まって、慌ただしく二人の男女が降りてきた。
暴風雨に終わった一日 (新字新仮名) / 松本泰(著)
そして、上野の不忍(しのばず)の池の畔(ほとり)に来たときに自然と二人の足は停(と)まった。
寺田はあわててロンパンのアンプルを切って、注射器に吸い上げると、いつもの癖で針の先を上向けて、空気を外に出そうとしたが、何思ったのかふと手を停(と)めると、じっと針の先を見つめていた。
競馬 (新字新仮名) / 織田作之助(著)
諏訪 停(と)めやしないわ。撮影所へ小道具の模様替えなんだって……
華々しき一族 (新字新仮名) / 森本薫(著)
道行(みちゆ)く者(もの)も足(あし)を停(と)めて感心(かんしん)して見惚(みと)れる位(くらい)でございました。
次郎が毎日はく靴(くつ)を買ったという店の前あたりを通り過ぎると、そこはもう新橋の手前だ。ある銀行の前で、私は車を停(と)めさせた。
分配 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
へんなところへ力を入れると、身体がとんでもない方向へゆらゆら走っていって、停(と)めようとしても停まらないそうである。
大宇宙遠征隊 (新字新仮名) / 海野十三(著)
「そちがあんまり美しい故に、わがご主君には毎夜のように藪原あたりまでお通いなさる。殿の夜遊(やゆう)を停(と)どめたさにそちが命を殺(あや)めるのじゃ」
蔦葛木曽棧 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
停(と)まっていた腕の血管にいちどに血がながれた。庄次郎は、痺(しび)れをさすりながら、弟の謹厳な横顔を偸(ぬす)み見て、父のように弟が怖い気がした。
松のや露八 (新字新仮名) / 吉川英治(著)