“蝕(く)” の例文
そして、睫毛の黒さや、小麦色の粗(あら)い皮膚。笑うと、虫の蝕(く)っている味噌ッ歯の見える唇もとまでが、蝦夷萩と、そっくりである。
平の将門 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
つまり、奴さん自身もふさぎの虫に心を蝕(く)われて、なんとかして自分で自分を亡いものにしようと思ったらしゅうございます。
かさかさに乾いて虫に蝕(く)われた、穴だらけの葉をまさぐりながら、それがそのまま自分の身の上のように思えて憂鬱になった。
野分 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
霜を含んだ夜気(やき)は池の水の様に凝(こ)って、上半部を蝕(く)い欠(か)いた様な片破(かたわ)れ月が、裸(はだか)になった雑木の梢(こずえ)に蒼白く光って居る。
みみずのたはこと (新字新仮名) / 徳冨健次郎、徳冨蘆花(著)
元気の無さ相(さう)な顔色(かほいろ)をして草履を引きずり乍ら帰つて来た貢さんは、裏口(うらぐち)を入(はい)つて、虫(むし)の蝕(く)つた、踏むとみしみしと云ふ板の間(ま)で、雑巾(ざふきん)を絞(しぼ)つて土埃(つちぼこり)の着いた足を拭いた。
蓬生 (新字旧仮名) / 与謝野寛(著)
鼻の缺けた觀音樣や、蟲の蝕(く)つた繪卷物の穿索で足りないで、かんな屑や蛙の干物まで大事にするとは……。これを思ふと骨董趣味なんて云ふものは、つまり氣違ひの道樂ですわね。
能因法師 (旧字旧仮名) / 岡本綺堂(著)
そしてその羊皮紙から脂肪がすっかり蝕(く)い取られてその銀行の空気になってしまう。
壁と押入から湿気(しつき)の臭が湧出し手箱の底に秘蔵した昔の恋人の手紙をば虫が蝕(く)ふ。
花より雨に (新字旧仮名) / 永井荷風(著)
家(いへ)なんざ買(か)ふものとも、買(か)へるものとも、てんで分別(ふんべつ)に成(な)らないのだから、空耳(そらみゝ)を走(はし)らかしたばかりだつたが、……成程(なるほど)。名所※繪(めいしよづゑ)の家並(いへなみ)を、ぼろ/\に蟲(むし)の蝕(く)つたと云(い)ふ形(かたち)の此處(こゝ)なんです。
月夜 (旧字旧仮名) / 泉鏡花、泉鏡太郎(著)
で、聞いて居る話も、蠧(むし)が物を蝕(く)つたやうに、ところ/″\ウロ拔けがしたものになるのであるから、首尾貫通前後相應したものとなつて、明瞭に我が心頭に受取り終る事が出來ぬのである。
努力論 (旧字旧仮名) / 幸田露伴(著)
彼が十歳のとき甘木の祇園(ぎおん)の縁日に買い来しものなり、雨に湿(し)みて色変りところどころ虫蝕(く)いたる中折半紙に、御家流(おいえりゅう)文字を書きたるは、寅(とら)の年の吉書の手本、台所の曲(ゆが)める窓より剥(は)ぎ来たれる
空家 (新字新仮名) / 宮崎湖処子(著)
奥穂高岳の絶頂へと辿(たど)りついたが、残雪は六尺ばかり高く築いて、添った壁を蝕(く)っている、奥穂高の前に野営に適したような窪地があったが、石ばかりで、偃松の枝一本見つからないほどだから
谷より峰へ峰より谷へ (新字新仮名) / 小島烏水(著)
かえって寄生木(やどりぎ)たる曹操(そうそう)のほうが次第に老いたる親木を蝕(く)い、幹を太らせ、ついに根を漢土に張って、繁茂(はんも)してくること必然でしょう。
三国志:06 孔明の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
壁と押入から濕氣(しつき)の臭が湧出し手箱の底に祕藏した昔の戀人の手紙をば蟲が蝕(く)ふ。
花より雨に (旧字旧仮名) / 永井荷風、永井壮吉(著)
ふと見ると古い枯葉には虫の蝕(く)ったような跡があった。
半七捕物帳:55 かむろ蛇 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
土台柱は、みんな白蟻が蝕(く)ったように腐っていた。建ってから一世紀以上は経っている——じわじわした陰鬱(いんうつ)な闇が顔をつつむ。
銀河まつり (新字新仮名) / 吉川英治(著)
もちろん時代風紀は水戸にも蝕(く)い入っていたが、からくもその濁風(だくふう)にみじん染まない若人(わこうど)のみは、老公をめぐって、無上の絢爛(けんらん)、贅(ぜい)たく、享楽
梅里先生行状記 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
勧学院や大学寮の文庫棚(ぶんこだな)には、醍醐朝(だいごちょう)まえに輸入された宋版(そうばん)の儒書(じゅしょ)が、読みてもなく、久しくムシに蝕(く)わせてあった。
たちまち稲の穂を蝕(く)い尽してしまい、蝕う一粒の稲もなくなると、妖虫の狂風は、次々と、他の地方へ移動してゆく。
三国志:03 群星の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
しかしこの苦笑は、五十一にもなってみると、深刻に胸を蝕(く)う。これから何年を生きられるか、当然、人間の天寿というものをいつも考えるからである。
新書太閤記:04 第四分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
けれど曹軍の怒濤は、大河を決するように、いたる所で北国勢を撃破し、駸々(しんしん)と冀州(きしゅう)の領土へ蝕(く)いこんで来た。
三国志:06 孔明の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
これは胡桃(くるみ)の殻(から)を手で叩いているようなものでしょう。外殻は何分にも堅固です。けれど中実(なかみ)は虫が蝕(く)っているようです。兄弟相争い、諸臣の心は分離している。
三国志:06 孔明の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
信長にとって、およそ始末のわるい相手は、はっきり領土を持たないで、しかも諸国の民心にふかく蝕(く)いこんでいるこの末期的僧団であった。その煽動力であった。
新書太閤記:04 第四分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
そして、年ばえもそう大しては違わない、一つか二つほど上であろう。色が白くて、笑靨(えくぼ)が深かった、笑うと、すこし齲(むし)の蝕(く)っている糸切歯(やえば)が唇からこぼれて見える。
篝火の女 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
なぜ、私利私欲の賊臣と、国を蝕(く)う世の悪風へ、敢然、闘ってくださらなかったかっ。石にかじりついてでも、副将軍というご位置に、しがみついて下さらなかったか。
梅里先生行状記 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
ちょうど、胴と脚の附け根のような地形に、今川家の勢力は犬牙(けんが)のように深く蝕(く)い入って、沓掛(くつかけ)、大高(おおだか)の二城をつなぎ、織田領の脚部をそこで切断した形になっていた。
新書太閤記:02 第二分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
しかし、きょうの話題は、牛車(くるま)のうちでも、寝屋(ねや)のうちでも、妙に胸に蝕(く)い入ってならなかった。
親鸞 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
そして朝廷までを、内部から蝕(く)っている。おどろくべき、存在だ。それを、ふしぎともしていない、この春日のうららかな昼霞に、おぬしは、血も、涙も、わいて来ないか
平の将門 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
……ごらんなさい、とうとう世上の華奢(かしゃ)、淫蕩(いんとう)、贈賄(ぞうわい)、涜職(とくしょく)の風。役人は役人で、下(しも)は下(しも)で、この国をここ十年か二十年で蝕(く)い腐(くさ)らしてしまいそうなほど、浅ましい世の有様を
梅里先生行状記 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
敵の弱質な部面に病菌を植えつけ、敵の内臓を内より蝕(く)い破るのが謀の目的である。
新書太閤記:09 第九分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
そのために、手広い長兵衛の稼業縄張へ十左と久八が蝕(く)い込んで行くことができない。是が非でも、生不動一(ひと)まきをぶっ潰(つぶ)そうと、彼等が絶えず隙を狙っている目的はここにあった。
剣難女難 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
武家の地頭に土地を蝕(く)われて、領米が都へ入らなかったり、寺院と寺院の訴訟だったりだが、なにしろ、朝廷の記録所も、鎌倉の裁きも、いまや訴訟などは、まるきり頼りにならない現状なので
私本太平記:02 婆娑羅帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
きのうは虱(しらみ)に頸(えりくび)を蝕(く)わせ、きょうは一浴に王者の快を思う。
新書太閤記:09 第九分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
取り出したのは、尺二、三寸の虫蝕(く)い防ぎの樟の薄板です。
江戸三国志 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
その病源がふかく蝕(く)い入ってゆくように思われる。
親鸞 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
たえられぬさびしさに身を蝕(く)われる気がする。
親鸞 (新字新仮名) / 吉川英治(著)