“弔”のいろいろな読み方と例文
読み方割合
とむら67.3%
つ6.7%
とむろ6.1%
とむらい5.5%
くや3.0%
とぶら2.4%
とむ1.8%
ちょう1.2%
ともら1.2%
とふら0.6%
くやみ0.6%
つる0.6%
てう0.6%
とふ0.6%
とむらひ0.6%
とむれ0.6%
ト0.6%
(注) 作品の中でふりがなが振られた語句のみを対象としているため、一般的な用法や使用頻度とは異なる場合があります。
ここに草の庵(いおり)を結んで、謀叛(むほん)人と呼ばれた父の菩提(ぼだい)を弔(とむら)いながら、往き来の旅人(たびびと)に甘酒を施していた。比丘尼塚の主(ぬし)はこの尼であると。
綺堂むかし語り (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
緑の枝を手折りて、車の上に揷し、農夫はその下に眠りたるに、馬は車の片側に弔(つ)り下げたる一束の秣(まぐさ)を食ひつゝ、ひとり徐(しづか)に歩みゆけり。
いわゆる大和墓に詣(もう)でて、平民の霊を弔(とむろ)うたが、歴史的懐古の念はようやく考古学的好奇心に変じて、私はいつしか白骨や遺物をいじり始めた。
土塊石片録 (新字新仮名) / 伊波普猷(著)
……おそらくは、わが子の弔(とむらい)合戦の決意と、あわせて、貞載の死を、足利殿御兄弟にも、思い出していただきたいのでございましょう
私本太平記:11 筑紫帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
勘次(かんじ)は近所(きんじよ)と姻戚(みより)との外(ほか)には一飯(ぱん)も出(だ)さなかつたがそれでも村(むら)のものは皆(みな)二錢(せん)づゝ持(も)つて弔(くや)みに來(き)た。さうしてさつさと歸(かへ)つて行(い)つた。
土 (旧字旧仮名) / 長塚節(著)
受るも口惜(くちをし)と父樣はとても浮(うか)まれまじきにより私し事(こと)早々(さう/\)江戸(えど)へ參り實否を承(うけた)まはり自然此書中の如くに候へば骨(ほね)を拾ひ御跡(おんあと)を弔(とぶら)ひ申さんと云を
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
其(それ)とも弔(とむ)らはれず浮(う)かばぬ霊(れい)が、無言(むごん)の中(うち)に供養(くやう)を望(のぞ)むのであらうも知(し)れぬ。独(ひと)りでは何(なに)しろ荷(に)が重(おも)い。
神鑿 (新字旧仮名) / 泉鏡花、泉鏡太郎(著)
長田忠致(おさだただむね)が源の義朝を弑したというような事柄は歴史の中でも悲壮な事柄であって、もしこれを漢詩にでもすれば堂々たる文字で、英雄の末路を弔(ちょう)するのであるが
俳句はかく解しかく味う (新字新仮名) / 高浜虚子(著)
だが、異様に感じられたのは、死体そのものよりも、死体の上やその周囲に、恰(あたか)も死者を弔(ともら)い死体を飾るものの如く、夥(おびただ)しい野菊の花が、美しく散り乱れていたことである。
魔術師 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
盡(つく)したれど定業(ぢやうごふ)は逃(のが)れ難く母は空敷(むなしく)なりにけり兵助の愁傷(しうしやう)大方ならず然(され)ど歎(なげき)て甲斐(かひ)無事(なきこと)なれば泣々も野邊の送りより七々四十九日の法(いと)なみもいと懇(ねんご)ろに弔(とふら)ひける。
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
玄関には弔(くやみ)に来る人影もまだまれであった。
黴 (新字新仮名) / 徳田秋声(著)
あの橋の手前の河岸縁の家にまさきか何かむくむくと繁つた常緑の樹があつて、それに夏からの風鈴が雨に濡れたままに弔(つる)されて居た事を記憶してゐる。
京阪聞見録 (旧字旧仮名) / 木下杢太郎(著)
さる程に友なるおうなみまかり、その同胞(はらから)も續きてあらずなり、私は形影相弔(てう)すとも申すべき身となり候ひぬ。
立てられ村中替々(かはる/″\)香花(かうげ)を手向(たむけ)跡(あと)念頃(ねんごろ)に弔(とふ)らひけるとなん
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
亡くなつた足立通衛(みちゑ)氏の告別式が大阪青年会館で行はれた時、弔(とむらひ)演説をした宮川経輝(つねてる)氏は、霊魂(たましひ)の一手販売人のやうな口風(くちぶり)で、名代(なだい)の雄弁を揮(ふる)つて
如何に言ひ、いかに弔(ト)はむと 思ふ間に、心もつきて、春も暮れにき(玉葉)