“畜(か)” の例文
毎(つね)にいわく、妻を持つ人はその飾具の勘定に悩殺さる、あたかも猴を畜(か)う者が不断その破損する硝子(ガラス)代を償わざるべからざるごとしと。
も畜(か)ふ事が出来る筈だ。動物には色々あるが、そのなかで狸ほどの愛嬌ものは少い。自分は奈良公園に鹿と一緒に狸をも飼つてみたいと思ふものである。
猫は蘭軒歿後にも榛軒に畜(か)はれてゐて、十三年の後に死んだ。榛軒の妻は蘭軒の旧門人塩田楊庵に猫を葬ることを託して、金二朱を裹(つゝ)んで寺に布施せしめた。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
ある妖狐を畜(か)って富を致す評ある人が町を通ると、生まれて数月なる犬児が吠え付き、その袖や裾に噛み付いて息(や)まず
インドとシャムで象厩に猴を畜(か)えば、象を息災にすと信ずる由書いたが、近日一七七一年パリ板ツルパンの『暹羅(シャム)史』に、シャムの象厩に猴を飼い
日本人は古く鶏を畜(か)い、殊に柳田氏が言われた通り、奥羽に鶏を崇拝した痕跡多きに、その直隣りのアイヌ人がかくまで鶏に無頓著(むとんじゃく)だったは奇態だが
また大和丹波市近処に捕え来て牀下(ゆかした)に畜(か)うと、眼小さく体俵(たわら)のように短大となり、転がり来て握り飯を食うに、すこぶる迂鈍(うどん)なるを見たと語った人あり。
長者恒(つね)に供養の時至るごとに一人をして辟支仏に往き請ぜしめた。この使い一狗子(いぬ)を畜(か)い日々伴れて行った。
ボヘミヤの某所では、百姓が通常の鼠を釈(ゆる)さず殺せど白鼠を見付くれば殺さず、窓に巣を作ってこれを畜(か)う。それが死ねばその家の福尽き常の鼠が殖えるそうだ。
讃岐(さぬき)琴平(ことひら)に多く畜(か)う(『郷土研究』二巻三号、三浦魯一氏報)、『古語拾遺』に、白鶏、白猪、白馬もて御歳(みとし)の神を祭ると見え、『塩尻』四に〈『地鏡』に曰く
『マハバーラタ』にはハリー神女が馬と猴の母だという。こうなるとどうも猴と馬が近親らしい。『虎鈐経(こけんけい)』に猴を厩に畜(か)えば馬のために悪を避け、疥癬を去るとある。
さてこそ魔物と一同震慄した。シマンタムバ常に一大鶏を畜(か)い、その鳴く声と時刻を考え、事ごとに成敗を知ったと聞くが、それも無効と見えてソグノ伯に紿(あざむ)き殺された。
は、奢侈(しゃし)の余り多くの騾に金屐(くつ)を穿(は)かせ、また化粧に腐心して新たに駒産める牝驢(ひんろ)五百を畜(か)い、毎日その乳に浴し、少し日たったものを新乳のものと取り替うる事絶えず。
しかるに和漢とも後には老いたる豕も本(もと)は子であったから猪、イノコと唱えたので、家に畜(か)う家猪に対して、野生の猪を野猪また山猪、和名クサイイキ、俗称イノシシという。
想うに一九(いっく)などの小説にしばしば繰り返された一話はこの仏語より来たんでないか、いわく猫を畜(か)って名を命(つけ)んと苦心し猫は猫だから猫と号(な)づく、さて攷(かんが)うると猫より強いから虎
長崎にもあれども少なし、これはかの地食物の用にする故に多からずと覚ゆ云々と記し、『重訂本草綱目啓蒙』四六には、長崎には異邦の人多く来る故に豕を畜(か)い置いて売るという。
今もパレスチナのアラブ人が多く騾を畜(か)いながら馬驢を交わらしめてこれを作らず、隣郷より買い入るるより推さば、古ヘブリウ人も専ら騾を買って用いたらしい、パレスチナの古伝に
そのまま羊が象厩(べや)に身を摺(す)り付くると、いよいよ火事となりて象も猴も焼け死んだとある。象厩に猴を畜(か)えば象を息災にすとシャムでも信ずる由、クローフォールドの『暹羅(シャム)使記』に見ゆ。
走り付いてその説を敲(たた)けば多年鶏を畜(か)う人で、われは鶏の羽色が四季に応じて変るを熟知す。この鶏の羽色と側に描いた草花と時節が合わぬと言ったので応挙厚く謝したとあったと覚える。
人間が畜(か)った物ゆえ力の強い間馬を働かすが正当だが、馬老衰と来ては処分が大分むつかしい、ただし牝牛を畜って乳を取り羊を養って毛を収め、とどのしまいに殺し食うたって異論なし
『淵鑑類函』に扶南王范尋(はんじん)常に虎五、六頭鰐魚(わに)六頭を畜(か)い、訟あって曲直知れぬ者を投げ与える、さて啖われた者は曲、啖われぬ者は直とする、穢貊(わいばく)の人虎を祭りて神将とするは以(ゆえ)あるなり
唐訳『花厳経(けごんぎょう)』七八に、〈人あり竜を調(なら)す法を善くす、諸竜中において、易く自在を得〉、西洋にも昔はそうと見えて、プリニウス八巻二十二章に、ギリシア人トアス幼時竜を畜(か)い馴(な)らせしに
ローマ帝国の盛時虎を多く畜(か)って闘わしめまた車を牽(ひ)かせた例もある。