“史(し)” の例文
燕王(えんおう)の兵を起したる建文元年七月より、恵帝(けいてい)の国を遜(ゆず)りたる建文四年六月までは、烽烟(ほうえん)剣光(けんこう)の史(し)にして、今一々之(これ)を記するに懶(ものう)し。
運命 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
史(し)には、文武天皇の大宝元年(西暦七〇一年)が始めとみえる。禁廷(きんてい)で、左右の衛府(えふ)の人びとだけでやったものらしい。それも五月の節会(せちえ)だけに。
老子(らうし)は楚(そ)の苦縣(こけん)の厲郷(らいきやう)、曲仁里(きよくじんり)の人(ひと)也(なり)。姓(せい)は李氏(りし)、名(な)は耳(じ)、字(あざな)は伯陽(はくやう)、諡(おくりな)を聃(たん)と曰(い)ふ。周(しう)の(一)守藏室(しゆざうしつ)の史(し)也(なり)。孔子(こうし)、周(しう)に適(ゆ)き、將(まさ)に禮(れい)を老子(らうし)に問(と)はんとす。
○扶桑略記(ふさうりやくき)(巻卅三)〇日本史(し)(百卅三)の列伝(れつでん)(五十九)〇菅家御伝記(神統(かみのみすゑ)菅原陳経(のぶつね)朝臣御作正史によられたれば証とすべし)其余(そのよ)虚実(きよじつ)混合(こんがふ)したる古今の書籍(しよじやく)枚挙(まいきよ)すべからず。
ここの山村は華陰県(かいんけん)の県ざかいで史家村(しかそん)とよばれている。戸数三、四百軒すべてが“史(し)”という氏(うじ)だった。
新・水滸伝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
憾(うら)むらくは其の叙するところ、蓋(けだ)し未(いま)だ十の三四を卒(おわ)るに及ばずして、筆硯(ひっけん)空しく曲亭の浄几(じょうき)に遺(のこ)りて、主人既に逝(ゆ)きて白玉楼(はくぎょくろう)の史(し)となり、鹿鳴草舎(はぎのや)の翁(おきな)これを続(つ)げるも
運命 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
○扶桑略記(ふさうりやくき)(巻卅三)〇日本史(し)(百卅三)の列伝(れつでん)(五十九)〇菅家御伝記(神統(かみのみすゑ)菅原陳経(のぶつね)朝臣御作正史によられたれば証とすべし)其余(そのよ)虚実(きよじつ)混合(こんがふ)したる古今の書籍(しよじやく)枚挙(まいきよ)すべからず。
史(し)を正(せい)に照らし、正を史に編(あ)み、一系の天子をあきらかにし、一体の国土を、民心に徹底せしめる。
梅里先生行状記 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「どうも、せっかくな時に、おいでなすったな。……じつあ、史(し)の若旦那(彼ハ以前、コノ近県切ッテノ大荘院(オオジョウヤ)ノ嫡男(チャクナン))は、あいにく、つい先頃からここにはおいでなさらねえんで」
新・水滸伝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)