“肯(き)” の例文
というような事で長く議論をして居りましたが、同氏はどう留めても肯(き)かぬと見られたか若干の餞別を残して夜深(よふけ)に帰って行かれた。
チベット旅行記 (新字新仮名) / 河口慧海(著)
二月ばかり前から、大層、よくなったには、よくなったんだけれど、まだ十分でないッていうのに、肯(き)かないでまた旅へ出掛けたの。
伊勢之巻 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
それがじいやにはなんだか惨(いじ)らしくも思われるので、叱ったり諭(さと)したりして、たびたび断わるのですけれど、どうしても肯(き)きません。
探偵夜話 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
すると良人(おっと)は私(わたくし)と意見(いけん)が違(ちが)いまして、それは余(あま)り面白(おもしろ)くない、是非(ぜひ)『若月(わかつき)』にせよと言(い)い張(は)って、何(なん)と申(もう)しても肯(き)き入(い)れないのです。
……が、その二つとも、もちろんお肯(き)き入れはかなわぬにきまっておる儀であると申して、私から固く断っておいた次第でございます
新書太閤記:07 第七分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
あれだけ、このおれが頼んで見ても、いっかなうけひかねえのだから、もうこの上は、無理にこっちのいうことを肯(き)かせるばかりだ。
雪之丞変化 (新字新仮名) / 三上於菟吉(著)
「伯父さんも降りて下さいと云ってるんです。一生のお願いです。遺産も何も要りませんから今日一度だけ僕のお願いを肯(き)いて下さい」
天狗岩の殺人魔 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
いけないと云っても中々肯(き)かないで逆上(のぼせ)切ってるのサ、芸者を引きたければ華(はなや)かにして箱屋には総羽織(そうばおり)を出し、赤飯を蒸(ふか)してやる
業平文治漂流奇談 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
無論相手がどんな種類の人間だかも解らなかったし、感違いの侮辱も感じたので、葉子は手まねで拒絶したが青年は肯(き)かなかった。
仮装人物 (新字新仮名) / 徳田秋声(著)
青年は青年で、姉にでも甘えるやうに、姉から引き廻されるのを欣ぶやうに、柔順に温和に夫人の言葉を、一々微笑しながら肯(き)いてゐた。
真珠夫人 (新字旧仮名) / 菊池寛(著)
氏は夫人の財布から二十銭銀貨を一枚借り出したが、それを渡さうとすると、肥大婦(ふとつちよ)の下女がどうしても言ふ事を肯(き)かなかつた。
車夫は肯(き)き入れず——あるいは聞えなかったかもしれぬ——轅(かじ)を下におろし、その老女をいたわり扶(たす)け起し、身体(からだ)を支えながら彼女に訊いた。
些細な事件 (新字新仮名) / 魯迅(著)
曰、豊聡耳王(とよとみみのみこ)の創むる所にして、年を閲すること既に一千余、唯魯の霊光の巍然として独り存するのみならずと。余肯(き)かず。遂に世粛を見る。
僻見 (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
「まアお玉さん、聴いていたかい。まア能く三人で相談を仕直すから、こちらへお出(い)で」と、嬶さんが云うのも肯(き)かず、そのまま走り出した。
悪因縁の怨 (新字新仮名) / 江見水蔭(著)
若い局長さんは山道が雪崩(なだ)れで危いから今日は配達を見合わせてはドウかと云って止めにかかったものであったが、一徹者の忠平は肯(き)かなかった。
眼を開く (新字新仮名) / 夢野久作(著)
明快な勝負をつけねば決してこの場を去らずという憎々しい剛情を張っているが、一心斎もまた肯(き)かぬ気の一徹者(いってつもの)で
と言ったが、村の男は頑として肯(き)かなかった。肆(みせ)の中にいた奉公人がやかましくてたまらないので、とうとう銭を出して一つだけ買って道士にあたえた。
種梨 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
ですから、どこへでも公衆の場所へ出掛けて行きますし、万一のことがあってはと、みんなが停めるのも肯(き)かずに、旅行は、すべて飛行機と決めています。
踊る地平線:10 長靴の春 (新字新仮名) / 谷譲次(著)
『何うしても肯(き)きませんか。それぢや全快(なほ)つても死でしまひます。可(いゝ)から此儘で手術をなさいと申すのに』
泉鏡花作『外科室』 (旧字旧仮名) / 宮崎湖処子(著)
どうしてあなたは、あんな馬鹿な坊さんの言うことを肯(き)きなすったのです。あなたは不幸でありませんか。
「なんでもないんですの。すぐによくなることはわかっているんですけれど、この人が、軽いうちにお医者に診(み)てもらったほうがいいといって肯(き)かないんですよ。」
浴槽の花嫁 (新字新仮名) / 牧逸馬(著)
「親の恩や義理忘れて来よらんなら、何でその親の言ふこと肯(き)きよらん。親が大切か情夫(をとこ)が大切か。」
乳の匂ひ (新字旧仮名) / 加能作次郎(著)
呉子さんと僕との心が、いつとは無しに相寄(あいよ)って行ったのは、誰にも肯(き)いて貰えることだろうと思う。
振動魔 (新字新仮名) / 海野十三(著)
「お父つぁんは、あたしに、お前さまのことで自身番に訴え出ろと言って、肯(き)かないのでございます」
魔像:新版大岡政談 (新字新仮名) / 林不忘(著)
だから「五月から游ぐ奴は馬鹿だ。病気になるぞ」と言って誤魔化した。けれども忠公は肯(き)かない。
いたずら小僧日記 (新字新仮名) / 佐々木邦(著)
酒は強い方で夜更かしは平気、ある時十二時を過ぎたので腕車をというのを肯(き)かず、歩いて帰ったが、その次に来た時「あの晩は上野公園をぶらついて二時過ぎに帰った」
明治世相百話 (新字新仮名) / 山本笑月(著)
「いま現金がないから、そのうち金のある時に返すといっているのに。肯(き)かないのか。」
遠藤(岩野)清子 (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)
仲間にも、しきりと止められた利平であったが、剛情(ごうじょう)な彼は肯(き)かなかった。たかが多勢を恃(たの)んで、時のハズみでする暴行だ。命をとられる程のこともあるまいと思った彼であった。
眼 (新字新仮名) / 徳永直(著)
さて、そのあくる日になって、祖母はゆうべの夫への懲らしめがうまく利(き)いてくれればいいがと心に祈りながら、祖父を呼び寄せて口説いたが、祖父はやはり頑として肯(き)かなかった。
それをみんな自分で持って行くと言い張って肯(き)かなかったのは、過度の勤勉や忠実からというよりも、そのどちらの道具でも主人の手のとどくところに置くことを恐れるかららしく
黄金虫 (新字新仮名) / エドガー・アラン・ポー(著)
「肯(き)いてくださいますか」と、女は続けて言った。「あなたは私を救ってくださることが出来るのです。わたしは実に苦しんでいるのです、絶えず苦しんでいるのです。ああ、苦しい」
抱一は何といっても肯(き)かないで、「自分の口からは言い兼ねるし、自分が言出したのではとても承知しそうもないが君なら必ず紅葉を口説き落せる、」と頻(しき)りに迫って承知しないので
納屋(なや)で稲を扱(こ)いでいたのであったが、父親が、おもんが制(と)めるのを肯(き)かずに出て行ったらしい気配なので、世間体(せけんてい)などを考え、どうしても引き止めなければならないと思って庭へ出て来た。
山茶花 (新字新仮名) / 佐左木俊郎(著)
犬は少しも肯(き)くどころか、いこぢになつてお尻の方を写真師に向けてゐる。
この一件を小耳に挟(はさ)むと、止めるを肯(き)かずに飛び出しましたが、此方が頼んだ訳ではなし、金五郎が勝手に買って出たのですから、おかみさんは高見で見物していれば後腐(あとくさ)れなく片付きます。
瞼の母 (新字新仮名) / 長谷川伸(著)
オイ、大将、そうじゃないかな! だからあれは肯(き)くことはならぬ! とこうにべもなくいい切ったでは、お前達にしても納まりがつくまい。俺にしても気の毒だ。今夜の会見も無意味になる。
名人地獄 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
改訂のものが手もとにあることはもちろん事実であった。しかしワ氏は頑(がん)として肯(き)かず、それはもはや間に合わぬ。また作者の後日の改訂が必ずしも作を良くするとは限らないゆえ、断じて応じ難い。
「でも宮本さんがどうしても行くと言って肯(き)かなかったんです」
光り合ういのち (新字新仮名) / 倉田百三(著)
「どうしても中へはいるのは厭だといって肯(き)かないんです」
地上:地に潜むもの (新字新仮名) / 島田清次郎(著)
私は手真似で反対したが、彼女はどうしても肯(き)きません。
麻酔剤 (新字新仮名) / モーリス・ルヴェル(著)
「のう、小坂部。父と叔父とが大事な際(きわ)じゃ。むかしの恨みは捨て置いて、今度だけは……。わしも共々に頼む。肯(き)いてくりゃれ。」
小坂部姫 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
……お師匠様、お通さんね、あれから、どうしても、もいちど武蔵様に会うんだといって、病人のくせに、いうこと肯(き)かないんだよ。
宮本武蔵:05 風の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
ところが夫はその口を出した事をただ諾々(うんうん)と肯(き)くばかりではない、かえって夫の方から妻君の意見を尋ねるということが多いのです。
チベット旅行記 (新字新仮名) / 河口慧海(著)
小賊(せいぞく)肯(き)かずして、則(すなは)ち刀(かたな)を執(と)つて其(そ)の指(ゆび)を切(き)つて珠(たま)を盜(ぬす)むや、指(ゆび)より紅(くれなゐ)の血(ち)衝(つ)と絲(いと)の如(ごと)く迸(ほとばし)りぬ。頭領(とうりやう)面(おもて)を背(そむ)けて曰(いは)く、於戲痛哉(あゝいたましいかな)。
唐模様 (旧字旧仮名) / 泉鏡花、泉鏡太郎(著)
青年は青年で、姉にでも甘えるように、姉から引き廻されるのを欣(よろこ)ぶように、柔順に温和に夫人の言葉を、一々微笑しながら肯(き)いていた。
真珠夫人 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
仁「兄いがあゝ言い出しちゃア肯(き)かねえから、早く裸体(はだか)になって置いて行(ゆ)きな、出さねえでじたばたすると殺してしまうぞ、泣顔(なきッつら)するねえ」
塩原多助一代記 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
だが、若い将校は皆の言ふ事を肯(き)かないで、滑り靴を脱ぎ捨ててさつさと帰つてしまつた。腹の減つた身には物を言ふのも大儀らしかつた。
線のはっきりした肯(き)かぬ気らしい眉つき口もとをしている、かたくひき緊った頬と、くくれたような顎(あご)に特徴があった。
山だち問答 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
お島はそうも言って、父親を宥(なだ)め帰そうと努めたが、こんな所に長くいては、どうせ碌なことにはならないからと言張って、やっぱり肯(き)かなかった。
あらくれ (新字新仮名) / 徳田秋声(著)
お松のなだめてとめるのさえも、肯(き)かないこの時の郁太郎の挙動は、たしかに、平常と違っていることを認めます。
大菩薩峠:31 勿来の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)