“揆(き)” の例文
しかも一揆(き)が、かりそめの百姓一揆とちがって、手強い底力を持っていることが知れるに従って、一藩の人心はいよいよ猛り立った。
恩を返す話 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
「下總(しもふさ)だ——宇佐美家の所領へ行つて訊いたら、みんな一ぺんにわかるだらう。丁度今百姓一揆(き)が起きかけて、ブスブス燻(いぶ)つてゐるさうだ」
武士の大小をたばさみて雪隠(せついん)に入(い)れる図の如きは、一九が『膝栗毛(ひざくりげ)』の滑稽とその揆(き)を一にするものならずや。
江戸芸術論 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
その預言者なるは、なお松陰が尊王的の打撃者たるが如し。而(しこう)してその両(ふたつ)ながら国家的概念を以て充満するに至りては、則ちその揆(き)を一にせずんばあらず。
吉田松陰 (新字新仮名) / 徳富蘇峰(著)
これはナホトカ組が祖国への敵前上陸を教育されているのと揆(き)を一にする絶対主義の教育であり、神がかりの教育でもある。教育された皇太子の罪ではない。
「正月」の句と「水無月」の句とは、全く揆(き)を一(いつ)にするわけではないが、ほぼ同じような点を覘(ねら)っている。
古句を観る (新字新仮名) / 柴田宵曲(著)
「途中、お迎えの者どもでござる」「お送りに加わり申す!」などと口々に列の横から割り込んで来た鳶色(とびいろ)一揆(き)の騎馬隊があり、それらの者が立ちふさがって
私本太平記:13 黒白帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
古今その揆(き)を一にするが、米の経済学者エリー(Richard T. Ely)の説明に曰く
法窓夜話:02 法窓夜話 (新字新仮名) / 穂積陳重(著)
著名な学者にもその例が多々見られ、いずれもみな揆(き)を一(いつ)にしているわけである。これらは立場こそ異なれ、みな生命を打込まんとする心の嗜みから学び得たものであろう。
威(い)を振(ふる)って驀地(ばくち)に進めと吼(ほ)えたのみである。このむさくろしき兵士らは仏光国師の熱喝(ねっかつ)を喫(きっ)した訳でもなかろうが驀地に進むと云う禅機(ぜんき)において時宗と古今(ここん)その揆(き)を一(いつ)にしている。
趣味の遺伝 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
もしこれを疑わば、請う、これを神仏に問え。神仏もし答えずんば、これを先聖に問え。先聖なお告げずんば、これを後人に問え。諸君は必ず先聖後聖、その揆(き)一なることを知らん。
おばけの正体 (新字新仮名) / 井上円了(著)
馬の情緒が擾馬家(うまならし)次第で急に変化する事驚くべく、馬を擾(なら)す方法諸邦を通じてその揆(き)は一だ、すなわち荒れ廻る奴の前二足あるいは四足ことごとく括(くく)りて横に寝かせ暫く狂い廻らせ
支那に於ても、その春秋戦国時代の末に賢人、孟子(もうし)が現れた。この孟子は孔子(こうし)の孫子思(しし)の門人に業を受けたというから、孔子とは頗る時代を隔てているけれども、思想の径路は両者全く揆(き)を一(いつ)にした。
永久平和の先決問題 (新字新仮名) / 大隈重信(著)
晴さうとしたが——宇佐美家は放つて置いても潰れる。下總(しもふさ)の領地の百姓一揆(き)はこのまゝぢや濟むまいから、それよりその有難いお墨附を種に、お孃さんを
山水画は即(すなわ)ち人物画発達の後(のち)に起りしものなり。今これをわが浮世絵について見るもまたその揆(き)を一にす。
江戸芸術論 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
川島郷の七人衆の原士、あの方々も寛永(かんえい)の昔、島原(しまばら)の一揆(き)戦(せん)がみじめな敗れとなった時、天草灘(あまくさなだ)から海づたいに、阿波へ漂泊(ひょうはく)してきた落武者の子孫なのでございました。
鳴門秘帖:06 鳴門の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
髯を抜きながら瞑目して訟を聴くのも、障子越に訟を聴くのと同じ考であろう。司直の明吏が至誠己を空(むな)しうして公平を求めたることは、先後その揆(き)を一にすというべきである。
法窓夜話:02 法窓夜話 (新字新仮名) / 穂積陳重(著)
子規居士の晩年の句に「蝉初メテ鳴ク鮠(はえ)釣る頃の水絵空」というのがある。句の内容は同じではないが、蝉のはじめて鳴く頃の空の感じを捉えた点は、揆(き)を一(いつ)にしているといって差支ない。
古句を観る (新字新仮名) / 柴田宵曲(著)
その豪勢な行列は、流行語の色(いろ)一揆(き)でいうならば“黒(くろ)一揆(き)”とでもいえそうである。供の半数以上は、蟻(あり)の化け物みたいな黒衣の僧侶で、あとは胴巻姿の武士どもだった。
「あの殿樣の評判は滅茶々々ですよ。領地で何遍百姓一揆(き)が起きたか勘定しきれない程で、あの養子の直之進が下總(しもうさ)へ行つて來たのも、それを撫(なだ)めるためだつたさうですよ」
すると、また、次の日、小沛の役所の門外に、わいわいと一揆(き)のような領民が集まって来た。
三国志:03 群星の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
平次は脚絆(きやはん)に草鞋(わらぢ)と言つた裝束で、手槍を擔ぎ、子分達はさすがにそれほど大袈裟には用意しませんが、それでもいゝ若い者が、百姓一揆(き)見たいに、竹槍まで提(ひつさ)げて押し廻したのですから
旗本十二人のいでたちも、兵の笠じるしも、荷駄の足軽脚絆(あしがるきゃはん)までが、総じて黄色と白のだんだらだった。“山吹備え”“山吹一揆(き)”とこれは都でも人目をそばだてた特徴なのだ。
私本太平記:07 千早帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
一揆(き)が事を起す前に七人の同志と江戸に潜行(せんかう)し將軍御膝元で事を擧げるつもりでしたが、島原の亂も案外早く平定し、徳川の礎(いしずゑ)はいよ/\鞏固(きようこ)で、痩浪人の策動では何うにもならないと解ると
人の後ろにかがんでいては恩賞にも屁(へ)にもならぬ。そのままにさえ踏みつけ去られる。これが時人(じじん)のあたまにあった。道行く列の色(いろ)一揆(き)なども、つまりは、おれ見よがしの流行だろうか。
少しも面白かあねえ、まるで百姓一揆(き)だ。
きのう北越(ほくえつ)に上杉勢と相搏(あいう)っていたかと思えば、たちまち伊勢(いせ)の一揆(き)を討ち、また返って、江州(ごうしゅう)の浅井を屠(ほふ)り、転じて朝倉を亡ぼし、更に叡山(えいざん)へ火の手をかけているという疾風迅雷(しっぷうじんらい)ぶりである。
黒田如水 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
古今奸雄(かんゆう)の計ることは、おおよそ揆(き)を一にしておりまするて
黒田如水 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「佐々木殿の山吹(やまぶき)一揆(き)」
私本太平記:04 帝獄帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)